海外サッカー日本人選手速報 WORLD SAMURAI

海外で活躍している日本人選手の情報を中心にお届けします

    カテゴリ:Jリーグ > 中村俊輔

    1: 数の子 ★ 2019/03/17(日) 14:30:48.54
    フットボールにおいて、FKは勝敗を分けるポイントの一つだ。鮮やかにネットを揺らす芸術性は観る者を魅了するが、英サッカーサイト「90min」ブラジル版は「フットボール史上最高のFKキッカー11人」と特集。日本が世界に誇るレフティーの元日本代表MF中村俊輔が登場し、改めて称賛されている。

    「フットボール愛好家にとって最大の楽しみの一つは、間違いなく美しい直接FKのゴールを見ることだ」

    このように切り出し、最初に紹介されたのが中村だ。希代のレフティーは2005年にレッジーナからセルティックへ移籍。リーグ優勝3回、リーグカップ優勝2回、スコティッシュカップ優勝を1回達成し、2006-07シーズンにはリーグ年間MVPに年間ベストイレブン、年間ベストゴール賞を受賞した。

    セルティックで公式戦166試合34ゴールを決めた中村だが、そのなかでもファンの記憶に深く刻み込まれているのが、直接FKによるゴールだ。2006-07シーズンのUEFAチャンピオンズリーグで、マンチェスター・ユナイテッドから2試合連続で決めたFK弾は伝説となっている。

    記事では、「我々は中村俊輔とともにリストをスタートさせる。日本の40歳はすでにジーコによって称賛されている」と、“サッカーの神様”である元ブラジル代表MFジーコ(現・鹿島アントラーズ・テクニカルディレクター)も認める存在だと伝えている。

    「狙った場所にボールを置ける能力、そして幻想的なゲームビジョンを持つテクニカルな選手だ。彼(中村)はフットボールの歴史上、最も偉大なレフティーの1人だ」

    ロナウジーニョら名手を抑え、G大阪でもプレーした元ブラジル代表MFカリオカが1位

    Jリーグでも通算24本のFKを決めており、これは2位につける元日本代表MF遠藤保仁(ガンバ大阪)の17本を大幅に上回るJ1最多記録となっている。今企画に登場する11人のうち、中村とポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド(ユベントス)だけが現役選手での選出となった。

    なお、元ブラジル代表MFロナウジーニョや元イングランド代表MFデイビッド・ベッカム、元イタリア代表MFアンドレア・ピルロら数多くの名手を抑えて1位に輝いたのは、2002年にG大阪でもプレーした元ブラジル代表MFマルセリーニョ・カリオカだった。アルゼンチン代表FWリオネル・メッシは選外となっている。

    「90min」ブラジル版が選出した「世界最高のFKキッカー11人」は以下の通り。

    11位 中村俊輔(ジュビロ磐田/元日本代表MF)
    10位 アレッサンドロ・デル・ピエロ(元ユベントスほか/元イタリア代表FW)
    9位 ロベルト・カルロス(元レアル・マドリードほか/元ブラジル代表DF)
    8位 ロベルト・バッジョ(元ユベントスほか/元イタリア代表FW)
    7位 デイビッド・ベッカム(元マンチェスター・ユナイテッドほか/元イングランド代表MF)
    6位 ロナウジーニョ(元バルセロナほか/元ブラジル代表MF)
    5位 クリスティアーノ・ロナウド(ユベントス/ポルトガル代表FW)
    4位 ジュニーニョ・ペルナンブカーノ(元リヨンほか/元ブラジル代表MF)
    3位 アンドレア・ピルロ(元ミランほか/元イタリア代表MF)
    2位 ディエゴ・マラドーナ(元ナポリほか/元アルゼンチン代表MF)
    1位 マルセリーニョ・カリオカ(元コリンチャンスほか/元ブラジル代表MF)
    2019-03-17_15h03_02
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190317-00176898-soccermzw-socc

    続きを読む

    1: 豆次郎 ★ 2019/02/22(金) 09:10:24.44
    2/22(金) 8:30配信
     ◇明治安田生命J1リーグ第1節 磐田―松本(2019年2月23日 ヤマハ)

    明治安田生命J1リーグは22日に開幕する。J1最年長で迎えるプロ23年目のシーズンを前に、磐田の元日本代表MF中村俊輔(40)が復活に懸ける思いをスポニチ本紙に語った。右足首の負傷に悩まされた昨季はチーム、個人ともに不本意な成績に終わった。23日にホームで行われる松本戦はトップ下での先発が濃厚。2019年型プレースタイルも視野に“天才レフティー”の勝負の一年が、いよいよ始まる。

    中村は復活へ、静かに闘志を燃やしていた。横浜から電撃加入した17年にチームを6位にまで押し上げ、さらなる飛躍を目指した昨季。だが、ケガにも泣かされ「1年目の成績を超えようと力んだ」と自身はプロ22年目にして初の無得点に終わった。チームもプレーオフの末にようやく残留。それでも幾多の試練を乗り越えてきた中村は「逆にこういう方が楽しい。苦しみもがいているのも良い」と新シーズンへ全てをプラスに捉えている。

    万全の準備も整えた。昨年の不調の原因となったのが、黄金の左足を長年支え続ける軸足の右足首の痛み。今や「完全には治らない」と言うものの「いかに負担を減らせるか」とオフには多くの権威に助言を求めた。「患部に全く触らない先生もいたり、テーピングのやり方とかも本当にためになった」。その効果もありここまで順調そのもの。何より「そう(治療に)体が動いたということはまだやれる、やりたいという証拠」と、サッカーへの情熱を再確認できたことが大きかった。

    1月25日~2月9日の鹿児島合宿では、柔道で史上初の五輪3連覇を成し遂げた野村忠宏氏(44)が講演。右膝十字じん帯を断裂するなど壮絶だったキャリアの晩年を赤裸々に語る野村氏の言葉に、中村も心を奪われた。「じん帯を切って再建手術して、という経験は一回もないから、まだ何とかなる」。大いに刺激を受けた。

    昨季限りで川口、楢崎、中沢、小笠原ら同世代の選手がユニホームを脱ぎ、気づけばJ1最年長。切磋琢磨(せっさたくま)した仲間の引退に「寂しい」と漏らしつつも「自分も年齢に逆らえない部分はあるけど、若手に対し“なめんなよ”という気持ちもある。ここだけは負けないというものがある」と言う。

    尽きない向上心が新たなプレースタイルを頭に描かせる。昨季まで、低い位置まで下がってボールを受けて試合を組み立てていたが、今季は「バッジオもそうだった」と往年の元イタリア代表FWのブレシア時代のプレーを参考に、「高い位置で守備をしてゲームをつくって、決定的なパスを狙う。そういう仕事が求められているし、それが実は延命につながると思う」と力を込めた。

    「3点は取りたい」。もちろん、目指すはそれ以上。決してさびつくことのないワールドクラスの技術で再び輝きを放ち、Jリーグを盛り上げる。

    ◆中村 俊輔(なかむら・しゅんすけ)1978年(昭53)6月24日生まれ、神奈川県横浜市出身の40歳。97年に桐光学園から横浜入り。02年7月にレジーナ(イタリア)移籍。05年7月に移籍したセルティック(スコットランド)では多くのタイトルを獲得。09年6月にエスパニョール(スペイン)に移籍し、10年2月に横浜復帰。17年から磐田でプレー。日本代表は98試合24得点。W杯は06年、10年に2度出場した。1メートル78、71キロ。利き足は左。
    2019-02-22_11h47_30
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190222-00000071-spnannex-socc

    続きを読む

    1: Egg ★ 2019/02/14(木) 19:32:06.60
    日本サッカー史上で眩い輝きを放つ司令塔、中村俊輔が23年目を迎えたプロ人生で集大成を誓っている。昨秋には「引退」の二文字が脳裏をかすめたと打ち明けた稀代のレフティーは、このオフにジュビロ磐田との契約を更新。

    日本代表時代からの象徴でもある「10番」を背負い、6月にはJ1最年長の41歳になる2019シーズン。完全燃焼を目指す決意を固めた軌跡をたどると、畏敬の念を込めて「師匠」と呼ぶレジェンドの引退がターニングポイントになっていた。(ノンフィクションライター 藤江直人)

    ● 現役続行を決意させた 「師匠」GK川口能活の引退

    迎えた10月下旬に、またもや肉離れで戦線離脱を強いられる。恐らくはこの時期に、悲鳴を上げる体に呼応するかのように心も揺らぎ、折れかけてしまったはずだ。

    しかし、引退との間で何度も揺れ動いた針は、最終的には現役続行を指した状態で止まっている。復活を期す俊輔の熱き思いは、ごく短いメッセージに凝縮されていた。12月4日の静岡新聞朝刊。ある特集ページの一番下に、俊輔のこんな言葉がひっそりと綴られていた。

    「僕はもうちょっとだけ頑張ります」

    1ページを大々的に使った特集は『届け!静岡からヨシカツコール。夢と感動をありがとう』と題されていた。J3のSC相模原でプレーした昨シーズンを最後に、四半世紀に及んだ現役生活にピリオドを打ったレジェンド、元日本代表GK川口能活をねぎらうものだった。

    静岡県富士市出身の川口へ、同県内を中心に100を超える団体や個人から寄せられた、思いの丈が込められたメッセージが紙面を埋め尽くした。そのなかに、川口の古巣でもあるジュビロに加入して2年目を終えようとしていた俊輔のそれも含まれていた。

    もうちょっとだけ頑張るとは、イコール、現役を続ける意思を3つ年上で、俊輔が親しみの尊敬の念を込めて「師匠」と呼ぶ川口へ、紙面を介して届けたことになる。川口の引退が電撃的に発表されたのが11月4日。ちょうど俊輔の心が揺れ動いていた時期だ。

    「そこで(川口)能活さんのニュースがパッと入ってきて、逆に自問自答できるチャンスが生まれたというか。自分は能活さんみたいにもがいたのかなと思うと、もうちょっとやりたいというか、やらなきゃいけない、もうちょっと完全燃焼してから、と」

    心の片隅でくすぶっている残り火に気づかせてくれた川口との出会いは、神奈川県の強豪・桐光学園から横浜マリノス(当時)へ俊輔が加入した1997年にまでさかのぼる。静岡県の名門・清水商業からマリノスの一員になって4年目の川口は、不動の守護神として君臨していた。

    「1年目の時に同じ個人トレーナーの元へ誘ってくれたのも能活さんだったし、紫色のフェアレディZで送り迎えもしてくれて……いや、スカイラインだったかな。とにかく、すごく緊張したのを今でも鮮明に覚えている。能活さんがいなかったら、今の僕も多分いないと思う」

    写真
    no title


    2/14(木) 6:01配信 ダイヤモンドオンライン 一部抜粋
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190214-00193896-diamond-soci&p=1

    続きを読む

    1: 砂漠のマスカレード ★ 2019/01/09(水) 05:44:38.92
    磐田の元日本代表MF中村が今季チームに残留することが8日、明らかになった。昨季が契約最終年で昨年12月のJ2東京VとのJ1参入プレーオフ決定戦後に「(来季は)どうなるか分からない。白紙」としていたが、この日までに残留を決断した。

    昨季は右足首などのケガに悩まされ、リーグ出場は16試合止まり。国内では自身初のシーズン無得点に終わったが、クラブはピッチ内外で貢献の高い司令塔に延長オファーを出していた。

    同世代のDF中沢やGK川口氏、MF小笠原氏ら、横浜や代表のかつてのチームメートが引退を決断する中、6月に41歳になるレフティーは今季もユニホームに袖を通す。
    2019-01-09_14h48_13
    https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2019/01/09/kiji/20190108s00002179330000c.html
    2019年1月9日 05:30

    https://soccer.yahoo.co.jp/jleague/players/detail/1829/131
    成績

    所属チーム名横浜深園SC-日産FCJrユース-桐光学園高-横浜F・マリノス-レッジーナ/イタリア-セルティックFC/スコットランド-RCDエスパニョール/スペイン-横浜F・マリノス

    続きを読む

    1:豆次郎 ★:2018/09/21(金) 14:28:28.22 ID:CAP_USER9.net
    9/21(金) 6:40配信
    Football ZONE web
    人気ゲーム「FIFA19」選定の世界トップ10に元日本代表MF中村がランクイン

    “セルティックのアイドル”中村俊輔、「世界ベストFKキッカー10傑」に選出 1位は…

    サッカーにおいてFKは勝敗を分けるポイントの一つだが、英紙「スコティッシュ・サン」は「『FIFA19』のFKキッカー10傑。セルティックのアイドル、シュンスケ・ナカムラに脚光」と見出しを打って特集し、ジュビロ磐田の元日本代表MF中村俊輔が登場している。


    ランキングは人気ゲーム「FIFA」のシリーズ最新作「FIFA19」の選手レートに基づいて作成。世界の現役フットボーラからトップ10を選出しているが、10位に中村が選ばれている。

    中村は2005年にレッジーナからセルティックに移籍。リーグ優勝3回、リーグカップ優勝2回、スコティッシュカップ優勝を1回達成し、2006-07シーズンにはリーグ年間MVPに年間ベストイレブン、年間ベストゴール賞を受賞した。

    セルティックで公式戦166試合34ゴールを決めた中村だが、そのなかでもファンの記憶に深く刻み込まれているのが、直接FKによるゴールだ。2006-07シーズンのUEFAチャンピオンズリーグで、マンチェスター・ユナイテッドから2試合連続で決めたFK弾は伝説となっている。記事でも「ユナイテッド戦でのセンセーショナルな2本のFKが依然として人気」と紹介した。

    Jリーグでも通算24本のFKを決めており、これは2位の遠藤保仁の決めた17本を大幅に上回るJ1最多記録となっている。

    なお、数多くの名手を抑えて1位に輝いたのは、アルゼンチン代表FWリオネル・メッシだった。ユベントスのポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドはランキング圏外となっている。


    人気ゲーム「FIFA19」FKキッカーのトップ10は以下の通り。

    10位 元日本代表MF中村俊輔(ジュビロ磐田)
    9位 アルゼンチン代表FWパウロ・ディバラ(ユベントス)
    8位 オランダ代表FWメンフィス・デパイ(リヨン)
    7位 ドイツ代表DFマルヴィン・プラッテンハルト(ヘルタ・ベルリン)
    6位 スペイン人MFダニエル・パレホ(バレンシア)
    5位 マケドニア代表MFエニス・バルディ(レバンテ)
    4位 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ代表MFミラレム・ピャニッチ(ユベントス)
    3位 イタリア代表FWセバスティアン・ジョビンコ(トロントFC)
    2位 トルコ代表MFハカン・チャルハノール(ミラン)
    1位 アルゼンチン代表FWリオネル・メッシ(バルセロナ)

    Football ZONE web編集部
    2018-09-21_15h53_27
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180921-00136731-soccermzw-socc
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180921-00136731-soccermzw-socc.view-000
    続きを読む

    1:Egg ★:2018/06/15(金) 15:53:26.78 ID:CAP_USER9.net
    私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第6回



    W杯で輝けなかった「エース」の本音~中村俊輔(2)

    2010年南アフリカW杯に向けて、新しいスタートを切った日本代表はイビツァ・オシム監督が指揮を執った。

    ■ドイツW杯、中村俊輔が明かす「俺が輝けなかった」理由

    中村俊輔は、中田英寿引退後の代表チームにあって、中心選手になっていた。その存在感は、ジーコジャパン時代の中田のような、絶対的なものだった。

    2007年11月、オシム監督が脳梗塞で倒れると、岡田武史監督が代表の指揮官に就任した。

    W杯予選が間近に迫る代表合宿において、岡田監督は中村、中澤佑二、遠藤保仁の3人を部屋に呼んで、「おまえたち3人が(チームの)中心になってやってくれ」と伝えた。中澤がキャプテンになり、経験豊富で試合を組み立てる力がある中村と遠藤がチームのけん引役を任されたのだ。

    「代表のために、代表が強くなるために『何かできないかな』っていう意識が強かった」

    中村は相当な覚悟で、岡田監督が投げた”ボール”を受け取った。

    岡田監督は、前から積極的にプレスをかけてボールを奪い、常にボールを保持する攻撃的なサッカーを推進していた。中村と遠藤は、そのサッカーにおける攻撃の軸となった。

    一方で、チームは世代交代が進み、新しい選手がどんどん入ってきていた。田中マルクス闘莉王、松井大輔、大久保嘉人、今野泰幸、長谷部誠、本田圭佑、長友佑都、内田篤人らだ。

    若い選手たちは野心に燃え、ポジションを争う意欲を隠そうとしなかった。

    当時、中村に最も牙をむいてきたのが、本田だった。オランダのVVVフェンロでプレーしており、まだブレイク前夜だったが、日本の”エース”からポジションを奪うべく、果敢に挑んできた。

    「本田は、他の選手と違っていたね」

    世間にも話題となったのは、アジア最終予選を突破したあとに行なわれたオランダ遠征のときだ(2009年9月)。1試合目のオランダ代表との試合で、FKのキッカーをお互いに譲らずに衝突したのだ。以来、中村と本田は「ライバル」と書き立てられた。

    スコットランドのセルティック所属時、欧州チャンピオンズリーグでマンチェスター・ユナイテッドを震撼させた日本代表の「10番」と、オランダ2部リーグにいたチームを1部昇格に導いた日本の「ニューカマー」との対立図式は、メディアにとって格好のネタとなった。

    中村は、誰かと比較されたり、誰かとライバルという取り上げられ方をされたりしたのは、本田が初めてではない。ジーコジャパン時代は、同じく攻撃的な選手である中田と比較されていた。

    「(メディアでは)ヒデさんとも比較されたけど、どうこうっていうのはなかった。ジーコのときのヒデさんは、特別な存在。(中田が所属していた)当時のローマは、今で言うバルサとかレアルみたいな感じで、そこでプレーできる力と経験を持つ選手は、日本代表には他にいなかった。

    たぶん、代表でプレーするときに(中田が)感じる、俺らへの物足りなさやストレスはすごかったと思う。ヒデさんは徐々に俺たちのレベルに寄ってきてくれたけど、ヒデさんが(本来の)ヒデさんでいられるレベルの選手が(代表には)ほとんどいなかった。

    しかも、本当ならヒデさんがトップ下をやるべきなのに、俺みたいなちょこまかした選手がトップ下をやって、ヒデさんはボランチをやった。同じレベルではなくて、本当に申し訳ないって思っていた」

    つづく

    6/15(金) 11:32配信
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180615-00010004-sportiva-socc
    続きを読む

    1:シャチ ★ :2018/06/14(木) 18:10:47.00 ID:CAP_USER9.net
    6/14(木) 16:15配信 ゲキサカ
    2018-06-14_18h34_29
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180614-01655042-gekisaka-socc

    ジュビロ磐田は14日、MF中村俊輔(39)が11日に右足関節前方インピンジメント症候群および滑膜炎のために、手術を行ったことを発表した。練習再開まで6週間と診断されている。

    中村は今季はリーグ戦9試合に出場。しかし3月の練習中に左大腿二頭筋を肉離れ。4月には左ヒラメ筋を肉離れするなど、故障が続いていた。
    続きを読む

    1:Egg ★:2018/04/05(木) 18:49:54.87 ID:CAP_USER9.net
    薄暗い照明、黒色の土のグラウンド――1人の選手がボーっと薄く浮かび上がるように立っていた。

    雨上がりでグラウンドには、まだあちらこちらに水たまりが残っており、その選手はスパイクもソックスも泥だらけになりながら、ただ黙々とボールを蹴り続けていた。

    高校を卒業し、大学入学と同時にサッカージャーナリストになることを夢見て筆者が活動を開始した頃に見た風景だ。

    強豪校としてメキメキと頭角を現し始めていた桐光学園の“ナンバー10”中村俊輔を見るべく、そのサッカー部のグラウンドを訪れていた。当時、まだ大学生だった私はグラウンドの中での取材ができず、孤独の中で練習に励む中村を、同じく1人で遠くから見つめていた。

    全体練習が終わり、多くの部員達が引き上げてからも彼はグラウンドに残り、FKの練習をひたすら行っていた。

    1人でボールを数個抱えて一箇所に集め、ゴールに向かってただただFKを蹴る。

    やがて蹴るボールが無くなると、ゴールに入ったボールや外れてグラウンドの一番奥まで転がっていったボールをひとつずつ回収して、再び場所を変えてFK練習を行い、またボールを回収して……。

    次第にボールは泥で重くなり、真っ黒になっていった。

    すると急にしゃがみ込んで、ボールを抱えた。「何をやっているんだろう?」と目をこらして見てみると、彼は素手でボールをひとつずつ丁寧に磨いていた。全部のボールの泥を落として磨き終えると、再び何事も無かったかのようにFKを蹴り始めた。

    中村俊輔を育てたグラウンドが人工芝に。

    まさに「黙々と」という言葉そのままに、何かに取り憑かれたかのようにひたすらFKを蹴っていた中村俊輔。

    あれから21年の歳月が流れて――2018年4月2日。

    彼が汗を流していた桐光学園高校サッカー部グラウンドは、緑色が映える綺麗な人工芝グラウンドとなっていた。

    この日、サッカー部グラウンドが人工芝化されたことでの完成記念式典が行われることになっていた。中村はそこに、OBとして出席していた。

    つづく

    4/5(木) 11:31配信
    2018-04-05_19h34_19
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180405-00830399-number-socc
    続きを読む

    1:Egg ★:2018/01/14(日) 22:07:43.74 ID:CAP_USER9.net
    J2東京ヴェルディに新加入したDF比嘉祐介(28)が14日、ジェフユナイテッド千葉との契約が17年で満了した後、J1横浜F・マリノス時代の先輩のジュビロ磐田MF中村俊輔(39)に「雇ってよ」と相談し、ゲキを飛ばされ、プロサッカー選手としてのキャリア続行につながったと明かした。

    比嘉はこの日、都内で行われた新体制発表会に出席した。取材陣から背番号について聞かれると「背番号は25でいきたかった。俊さんが着けていたので。東京Vでは埋まっていたので、何でもいい」と13番に決めた経緯を語った。

    比嘉にとって、中村俊は「マネしようとしたって出来ない。俊さんや中田英寿さんを見てサッカーを始めた」憧れの存在。12年に横浜でプロデビューした当時、中村俊はキャプテンだった。その後、比嘉が京都サンガFC、千葉と移籍しても試合を見てくれ、話もしばしばする関係だという。

    東京Vへの移籍が決まり、中村俊と連絡を取ったかと聞かれると、比嘉は千葉との契約が満了になった際、電話したと明かした。「『俊さん、もうサッカー出来ねぇから雇ってよ』と、初めてガチに」相談すると「『もう、ちょっと頑張れよ。もっと出来るんだろ』と半分、説教じゃないけど」(比嘉)とゲキを飛ばされたという。

    その後、東京Vからオファーを受け、完全移籍が決まった。電話で報告すると「良かったじゃん。チーム、あったんだ。頑張れよ」と喜んでくれたという。「オファーをもらったのが、うれしかった。自分で先発を勝ち取れば、俊さんも(横浜DF栗原)勇蔵君も、自分の頑張っている姿を見てもらえる」と闘志を燃やした。

    2月25日の開幕戦の相手は、契約満了となった因縁の千葉とホーム味の素スタジアムで対戦することが決まった。比嘉は「スタメンで出られたら最高。楽しみしかない。思いっきり削ります。何もやらせたい。どうせ、あっちもガーっとくる。ファウルをもらわないように、うまくやりたい」とジョークを飛ばした。

    千葉では17年、リーグ戦の出場は8試合にとどまり無得点だったが、11月11日の名古屋戦(3-0勝利)と同19日の最終節・横浜FC戦(2-1勝利)と終盤の大事な試合に2戦連続で先発し、J1昇格プレーオフ進出に貢献。

    昇格を決めた名古屋グランパスとの準決勝(2-4敗戦)ではフル出場した。ファン・エスナイデル監督の厳しい練習、食事制限で体を鍛え「フタを空けてみれば、最後は良かった」と収穫も感じている。

    「開幕戦に勝って、頑張っている姿を見てもらいたい。アイツのクビ、切らなきゃ良かったって言わせたい」と笑みを浮かべた。【村上幸将】
    2018-01-15_08h19_52
    1/14(日) 20:57配信
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180114-00100356-nksports-socc
    続きを読む

    ↑このページのトップヘ