海外サッカー日本人選手速報 WORLD SAMURAI

海外で活躍している日本人選手の情報を中心にお届けします

    タグ:中田英寿

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    1:風吹けば名無し:2018/11/12(月) 21:10:49.59 ID:vtFOb+K10.net
    ヒデの功績
    ・世界最高リーグのセリエAで活躍
    ・日本人初の二桁得点(10得点)
    ・強豪ASローマに移籍
    ・天王山で活躍、日本人唯一のセリエA優勝
    ・当時アジア人最高額の33億円でパルマへ移籍
    ・中田の決勝ゴールでユベントスを下し、コパ・イタリア制覇
    ・ユベントスに通算5得点のユーベキラー
    ・パルマ、フィオレンティーナで10番を背負った初の日本人
    ・欧州移籍から引退まで常にセリエA以上のリーグでプレー
    ・日本人の欧州移籍への流れを作った(俊輔はヒデを追ってセリエへ)
    ・ASローマの高額移籍金ランキングTOP10入り
    ・ASローマを代表する冬の補強選手に選出
    ・ASローマの殿堂入り候補に選出
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    1:豆次郎 ★:2018/10/22(月) 05:04:24.15 ID:CAP_USER9.net
    10/22(月) 4:00配信

    中田英寿氏SAKEイベントに最優秀賞!世界で評価
    サッカー元日本代表中田英寿氏(41)プロデュースの日本酒PRイベント「CRAFT SAKE WEEK」が21日(現地時間)、スペイン・バルセロナで開催された国際PRアワードの最高峰、「ゴールデン・ワールド・アワード」の授賞式で、最優秀賞を受賞した。

    「CRAFT SAKE WEEK」は、06年の現役引退後、日本全国300蔵以上の酒蔵に足を運んだ中田氏がプロデュースし、16年の東京・六本木を皮切りに福岡、福島、仙台などで開催されてきた。来場者数は、訪日外国人を含めて約40万人。関係者によると、イベントを通じて世界に日本酒をアピールしたことが評価されたという。

    式では、中田氏をマネジメントしているサニーサイドアップ社の次原悦子社長が登壇。50カ国から約200人の出席者を前に「引退後、サッカーとは異なる道を選んだ彼のプロジェクトが、こうして世界から高く評価されたことを心からうれしく、誇りに思います」と笑顔でコメントした。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181022-00369074-nksports-socc

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    1:Egg ★:2018/10/21(日) 22:51:11.20 ID:CAP_USER9.net
    英メディアが特集「日本のプレーメーカーは母国にセリエAブームを巻き起こした」



    現在セリエAは、レアル・マドリードからユベントスに加入したポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド効果により例年以上の活気を見せている。英メディア「90MIN」は「売上を増加させるために、セリエAは印象的な選手を狩らなければならない」と報じ、セリエA改革におけるマーケティングの重要性を訴えるなかで、元日本代表MF中田英寿氏の名前を挙げている。

    「サッカー選手かマーケティングマンか? その両方を備えているのが望ましい。サッカー界全体の売り上げが増えているなかで、ソーシャルメディアとマーケティングの結び付きが強くなった。そのため、この3つの要素を押さえている選手を連れてくることが不可欠となっている。ロナウドの衝撃が素晴らしい例だ。彼の到着は社会的経済を刺激しただけでなく、記録的なユニフォームの売り上げをもたらした」

    記事では、セリエAの注目度を高めるために実力者を引き抜き、ソーシャルメディアを最大限に利用することでマーケティングにつなげる重要性を説いている。またロナウド加入で欧州の枠を超える反響を呼んだのは、中田氏以来の事象であることを指摘した。

    「ロナウドの到着は欧州の国境を超えてセリエAの魅力を高めているが、それはナカタ以来の反響だった。日本のプレーメーカーは多くの日本人を魅了し、母国の象徴的な選手として日本にセリエAのブームを巻き起こした。元レッジーナのナカムラ(中村俊輔)にも同様のことが言える」

    中田氏は1998年にイタリア1部ペルージャへと移籍すると、デビュー戦となった強豪ユベントス戦で2ゴールを奪う目覚ましい活躍を披露。加入初年で中盤ながら公式戦で10ゴールを記録した。翌年にはASローマへとステップアップし、2000年には日本人初となるセリエA優勝を経験。その後、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナとイタリアのクラブを渡り歩き、2006年のボルトン在籍時に迎えたドイツ・ワールドカップ(W杯)を最後に現役生活に終止符を打っていた。

    つづく

    10/21(日) 19:50フットボールゾーン
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181021-00142697-soccermzw-socc
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    1:久太郎 ★:2018/10/01(月) 16:35:31.74 ID:CAP_USER9.net
    ローマのレジェンドであるフランチェスコ・トッティ氏が、自伝本『ウン・カピターノ(主将)』の中でかつて同僚だった元日本代表の中田英寿氏について語っている。

    中田氏は、ペルージャを経て2000年1月にトッティ氏が所属していたローマに加入した。翌シーズンにはユヴェントス戦(2-2)でスクデットを呼び込むゴールを決め、日本人初となるセリエA制覇を成し遂げたが、元ローマの主将は当時を回想した。

    「ナカタの所へ駆け寄り、ハグをしてキスした。すでに皆も駆け寄った後だったけど、彼はいつもの穏やかな笑みを浮かべていて、やや構えているようだった。私は耳元で『君は最高だよ、ヒデ!』と何度も叫んだ。最後に彼はこちらを向くと、『グラッツィエ!』と大声で答えてくれた。それから彼は立ち去って行ったが、スクデットに値するゴールが決まった直後、興奮した選手たちに体を触られて少し嫌だったのではないかと思う」

    「ナカタは1番にロッカールームへと消えていったが、存在感を消した宇宙人のようであり、礼儀正しいが、淡泊で物静かだった。僕らと一緒にいながらも誰も侵入することのできない自分の世界も持っていた」

    またトッティ氏は、ロッカールーム内において、チームメートたちがスクデット獲得に歓喜する中、中田氏の行動には驚かされたと明かしている。

    「皆と一緒に歌ったり、踊ったり、乾杯したりしていた。その時、ナカタには呆気にとられたけど楽しませてもらったよ。彼はあのカオスの中で、隅に座って本を読んでいたんだ。火星人だよ」

    2006年ドイツ・ワールドカップを最後に29歳で現役引退を決断した中田氏だが、トッティ氏は直接本人から早期引退の可能性を聞かされていた。

    「言葉を交わした回数は少なかったが、『僕は他にもやりたいことがあるので、早めに引退するつもりだ』と言っていたが、まさにその通りになった。だから今でも覚えている」
    2018-10-01_17h02_24
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181001-00000006-goal-socc
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    1:Egg ★:2018/09/18(火) 15:54:10.65 ID:CAP_USER9.net
    「ヒデさんはサッカー界に携わってもらわなきゃ」

    「これまで本物の、真のビッグクラブでプレーした選手って、ヒデさんのローマ、シンジ(香川真司)のマンチェスター・Uくらいかな。だから欧州のトップでプレーする選手が、もっともっと出てきてほしいという気持ちはありますね。それは日本代表とか、日本サッカーの強化につながると思います」

    その日本人選手の欧州移籍のパイオニアである中田英寿については、憧れと尊敬の気持ちを込めてメッセージを託してきた。

    「ヒデさんはやっぱり、別格だと思いますよ。21歳でペルージャに行って、2点取ったユベントスとのデビュー戦も、『すっげーな』と思いながらテレビで見ていました。それからローマでスクデットも取って。

    ヒデさんって、まだ41歳でしょ? 俺、34ですよ(笑)。同じ時代にサッカーをやりたかったですね。サッカー観とか、合いそうな気がするんですよね。あの人は強さもあり、うまさもあり、ダイナミックさもあって。一緒にボランチでコンビを組んでやりたかったって、一番思う選手かもしれない。

    僕なんかが偉そうに言うのはあれですけど、やっぱりヒデさんはどういう形であれ、日本のサッカー界に携わってもらわなきゃ困る人だと思いますね。監督なのか、コーチなのか、協会のスタッフなのか、どういう立場かはわからないですけど、何かしら関わってほしい人。ああいう人がいると日本サッカー界もより盛り上がるし注目されると思う。だから、そう書いといてください!」

    最後は茶目っ気たっぷりながら、とても長谷部らしいメッセージだった。

    ヒデさん、読んでますか?

    9/18(火) 15:11 ナンバー 一部抜粋
    2018-09-18_16h23_14
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180918-00831891-number-socc&p=3
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    1:砂漠のマスカレード ★:2018/09/15(土) 18:09:17.62 ID:CAP_USER9.net
    1998年9月13日。ちょうど丸20年前のこの日は、日本サッカーにとって特別な日だ。
    日本サッカー、いや、アジアサッカーが、初めてリアルにヨーロッパトップレベルのサッカーシーンで認められた日、と言えるかもしれない。

    この日にイタリア・ペルージャのスタディオ・レナート・クーリにて行われた1998-99セリエA第1節ペルージャvsユヴェントスにおける中田英寿の活躍はそれだけのインパクトがあった。

    1998年6月にフランスで行われたワールドカップにて、初出場国のエースとしてある程度のインパクトは残した中田だったが、ヨーロッパのサッカーシーンではまだ無名の存在だった。7月24日に、セリエA昇格組のペルージャへ中田が加入したことも、日本では当然大きく報じられたが、イタリアではほとんどニュースにはならなかった。当時のセリエAは、ヨーロッパ各国リーグの中でも、頭一つ抜けた存在のリーグで、世界中からトッププレーヤーが集まっていたリーグであったから、それも当然である。

    ペルージャの開幕戦の相手ユヴェントスはセリエAの中でも、飛び抜けた実績と強さを持つクラブだった。その輝かしい歴史に加え、前2シーズンを連覇し、3連覇を狙うシーズン開幕を迎えたユヴェントスは、ジネディーヌ・ジダン、アレッサンドロ・デル・ピエロ、フィリッポ・インザーギ、エドガー・ダーヴィッツといった錚々たるメンバー。当然、戦前の展開予想では、ユヴェントスが圧勝する、という見方がほとんどだった。

    試合はダーヴィッツ、イゴール・トゥドール、ジャンルカ・ペッソットのゴールで、前半を終えた時点で「ペルージャ 0-3 ユヴェントス」と、戦前の予想そのままのスコアとなる。両者の実力差から考えても、ユヴェントスの勝利は、もはや確定だとすべての人が思ったに違いない。

    しかし、試合はここから予想外の展開を見せる。右サイドのジャンルカ・ペトラーキからエリア右に走り込みながらボールを受けた中田が、角度のないところから放ったシュートは、名手アンジェロ・ペルッツイの左脇をすり抜けてゴールへ。記念すべきセリエA初試合で初ゴールを挙げた中田は、さらにその直後、CKのこぼれ球を右足ボレーで叩きつけて2点目を挙げる。レナート・クーリはまさかの展開に騒然となった。結局、その後は試合巧者ぶりを見せたユヴェントスが、3-4で何とか勝ち点3を得たが、王者ユヴェントス相手に堂々たる戦いぶりを見せたことで、ペルージャはもちろん、2得点を奪った“NAKATA”の名前は、翌日の各メディアで大きく報じられ、一躍、その名はイタリア中に知れ渡ることになった。

    その後の中田のキャリアについては、ここでは改めて触れないが、この試合での活躍が、その後の彼のキャリアに大きな影響を与えたのは間違いないだろう。あの日から20年。2006年のドイツワールドカップを最後にその選手キャリアを終え、現在はサッカーとは少し離れた距離で過ごしている中田は、今あの日のことをどのように振り返るのだろうか。9月13日当日、「過去を振り返ることのない」男に、あえて20年前のあの日について話を聞いた。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180915-00831123-soccerk-socc
    9/15(土) 8:05配信









    イタリアのアナウンサーが絶叫した中田のセリエAデビュー2ゴール



    98.9.13 中田英寿 セリエAデビュー戦
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    1:Egg ★:2018/09/13(木) 06:12:33.14 ID:CAP_USER9.net
    中田英寿の取材をよくしていると言うと、多くの人に同じ質問をされる。
    「彼はいま何をやっているの?」
    そう訊きたくなる気持ちはよくわかる。みんな中田英寿にはサッカーに関わっていてほしいのだ。日本代表が危機になると必ず彼の名前があがる。「中田を監督にしたらどうだ?」、「ヒデならなんとかしてくれる」。それでも引退後の中田英寿は、サッカーと積極的に関わろうとはしていない。それでみんな思うのだ。

    「彼はいま何をやっているの?」
    数年前は、この質問に「あちこち旅をしています」と答えていた。ここ2~3年は「工芸と日本酒の世界でがんばっています」。彼がなぜ日本酒に夢中になったか。その過程を振り返ってみたい-。



    私が中田さんの取材をするようになったのは、現役の末期のころからだ。マンチェスターで初めて取材したときは、体中から溢れる戦う男の圧倒的なパワーに驚いた。圧倒的あり、しかも繊細。常に全身の神経を使って細かな変化やこちらの心境まで察知しているような雰囲気があった。うかつなことを訊いたら、怒られるか、帰ってしまうか。1時間ほどの取材が終わった後、どっと疲れが出たのをおぼえている。

    現役引退後、中田さんは、「サッカー以上に熱中できるもの」を探して、旅に出た。最初は海外を転々とし、そのあとは7年がかりで日本全国を旅した。日本の旅には私も時々同行し、その様子を雑誌などで記事にした。

    初期は、大人の修学旅行のようなものだった。中田さん自身がガイドブックを何冊も買い込み、その土地のめぼしいスポットや飲食店、地元名産の農家などを選んで巡る。たくさんの発見があったし、勉強にもなった。ただ今思えば、“楽しさ”以上の収穫は少なかったように思う。

    旅のカタチが少しずつ変わってきたのは、2年目、本州最南端の波照間島から北上する旅が本州に差し掛かったころだろうか。大雑把にいえば、旅のスタイルが「どこに行くか」ということより、「誰に会うか」に変わったのだ。寺社仏閣、伝統工芸の職人、農家、酒蔵……。それまでチラッと見て通り過ぎていったような場所でも、中田さんは丁寧に話を聞くようになった。

    いちおう私は取材のプロだ。相手の話を聞きながら、「そろそろネタも尽きたかな」ということがわかる。そんなときでも中田さんは、それでも食い下がって質問を続ける。すると、相手から興味深い話が出てくることもあった。中田さんの好奇心が相手の心を動かし、1時間の滞在予定が2時間、3時間とのびたこともある。

    つづく

    9/13(木) 6:01配信 ビクトリー
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180913-00010000-victory-socc
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    20180629hochi235_0

    1:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2018/07/05(木) 17:55:41.785 ID:0zrULrJu0.net
    期待してる
    5:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2018/07/05(木) 17:59:45.185 ID:L62ArT0k0.net
    中田てそんな監督の才能なさそうだけどな

    中田世代だったら宮本ツネ あたりだろうね
    6:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2018/07/05(木) 18:00:16.549 ID:bIig1DVF0.net
    ライセンス持ってないだろ
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    1:サイカイへのショートカット ★:2018/06/29(金) 23:13:45.64 ID:CAP_USER9.net
    中田英寿氏、日本代表への思い激白「監督は2大会とか長期間で見ない限り、積み上げ難しい」
    2018年6月29日 22:57 スポニチ Sponichi Annex サッカー
    https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/06/29/kiji/20180629s00041000510000c.html

    中田英寿氏



    サッカー元日本代表の中田英寿氏(41)が29日放送のTBS系「緊急生放送!FIFAワールドカップ 祝!日本代表・決勝T進出決定SP」(金曜後8・52)で、日本代表への本音をテレビで初激白した。

    2時間の生放送では、中田氏をはじめ歴代日本代表たちの、激変したその後の人生を追跡取材。中田氏が社長を務める会社のこだわりオフィスをテレビで初公開するほか、「国内でたまたまベッカムと会った話」「初めてお酒を飲まされた人物の話」など、これまで語ったことのない秘蔵エピソードを披露した。

    また、これまでサッカーに関しての発言を控えてきた同氏が、日本代表への熱い本音を語る場面も。96年アトランタ五輪でともに戦った元日本代表の前園真聖氏(44)に、ワールドカップまで2カ月しかない中で就任した西野監督について聞かれると「2カ月で監督がどうこうできるもんじゃない。結局は、選手が自分たちでどれだけまとまってやれるか。それよりも、このワールドカップをステップにして次につなげるためにどうしていくかということを西野さんたちは考えないといけない」と答えた。

    今後の日本代表監督とチームづくりについて「外国人監督が4年間やって、(結果が)良くても悪くてもワールドカップが終わったら契約終わって次にいく…。それを続けていても、その先には絶対に進まないと思う。

    例えば、日本人監督で次の3大会はやっていこうとか、外国人監督に任せるのだったら2大会は任せてやってみようとか、もう少し長い期間で見ない限り、積み上げることが難しい。そうしないと監督は結局その4年間だけのためにやってしまうだろうし。それだと結局は意味がないのでは」と持論を展開した。
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    1:Egg ★:2018/06/15(金) 15:53:26.78 ID:CAP_USER9.net
    私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第6回



    W杯で輝けなかった「エース」の本音~中村俊輔(2)

    2010年南アフリカW杯に向けて、新しいスタートを切った日本代表はイビツァ・オシム監督が指揮を執った。

    ■ドイツW杯、中村俊輔が明かす「俺が輝けなかった」理由

    中村俊輔は、中田英寿引退後の代表チームにあって、中心選手になっていた。その存在感は、ジーコジャパン時代の中田のような、絶対的なものだった。

    2007年11月、オシム監督が脳梗塞で倒れると、岡田武史監督が代表の指揮官に就任した。

    W杯予選が間近に迫る代表合宿において、岡田監督は中村、中澤佑二、遠藤保仁の3人を部屋に呼んで、「おまえたち3人が(チームの)中心になってやってくれ」と伝えた。中澤がキャプテンになり、経験豊富で試合を組み立てる力がある中村と遠藤がチームのけん引役を任されたのだ。

    「代表のために、代表が強くなるために『何かできないかな』っていう意識が強かった」

    中村は相当な覚悟で、岡田監督が投げた”ボール”を受け取った。

    岡田監督は、前から積極的にプレスをかけてボールを奪い、常にボールを保持する攻撃的なサッカーを推進していた。中村と遠藤は、そのサッカーにおける攻撃の軸となった。

    一方で、チームは世代交代が進み、新しい選手がどんどん入ってきていた。田中マルクス闘莉王、松井大輔、大久保嘉人、今野泰幸、長谷部誠、本田圭佑、長友佑都、内田篤人らだ。

    若い選手たちは野心に燃え、ポジションを争う意欲を隠そうとしなかった。

    当時、中村に最も牙をむいてきたのが、本田だった。オランダのVVVフェンロでプレーしており、まだブレイク前夜だったが、日本の”エース”からポジションを奪うべく、果敢に挑んできた。

    「本田は、他の選手と違っていたね」

    世間にも話題となったのは、アジア最終予選を突破したあとに行なわれたオランダ遠征のときだ(2009年9月)。1試合目のオランダ代表との試合で、FKのキッカーをお互いに譲らずに衝突したのだ。以来、中村と本田は「ライバル」と書き立てられた。

    スコットランドのセルティック所属時、欧州チャンピオンズリーグでマンチェスター・ユナイテッドを震撼させた日本代表の「10番」と、オランダ2部リーグにいたチームを1部昇格に導いた日本の「ニューカマー」との対立図式は、メディアにとって格好のネタとなった。

    中村は、誰かと比較されたり、誰かとライバルという取り上げられ方をされたりしたのは、本田が初めてではない。ジーコジャパン時代は、同じく攻撃的な選手である中田と比較されていた。

    「(メディアでは)ヒデさんとも比較されたけど、どうこうっていうのはなかった。ジーコのときのヒデさんは、特別な存在。(中田が所属していた)当時のローマは、今で言うバルサとかレアルみたいな感じで、そこでプレーできる力と経験を持つ選手は、日本代表には他にいなかった。

    たぶん、代表でプレーするときに(中田が)感じる、俺らへの物足りなさやストレスはすごかったと思う。ヒデさんは徐々に俺たちのレベルに寄ってきてくれたけど、ヒデさんが(本来の)ヒデさんでいられるレベルの選手が(代表には)ほとんどいなかった。

    しかも、本当ならヒデさんがトップ下をやるべきなのに、俺みたいなちょこまかした選手がトップ下をやって、ヒデさんはボランチをやった。同じレベルではなくて、本当に申し訳ないって思っていた」

    つづく

    6/15(金) 11:32配信
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180615-00010004-sportiva-socc
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