海外サッカー日本人選手速報 WORLD SAMURAI

海外で活躍している日本人選手の情報を中心にお届けします

    タグ:中田英寿

    soccer120425_1_title

    1:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/08/09(水) 05:15:41.48 ID:UbfqXvkbd.net
    あと一人は?
    2:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/08/09(水) 05:16:05.45 ID:l08AdVgt0.net
    高原
    3:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/08/09(水) 05:16:23.23 ID:IbIHzaYaM.net
    小野
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    1:Egg ★@\(^o^)/:2017/07/26(水) 12:26:44.22 ID:CAP_USER9.net
    かつてローマやフィオレンティーナなどで活躍した元日本代表の中田英寿氏が、自身のキャリアなどを振り返っている。

    現在40歳の中田氏はベルマーレ平塚にてプロデビューを果たすと、1998年に21歳の若さでイタリアセリエAの舞台に参戦し、開幕戦から2ゴールを挙げるなど大活躍。その後もフランチェスコ・トッティ擁するローマやパルマ、そしてイングランドのボルトンなどの名門クラブを渡り歩き、2006年のドイツW杯を最後にピッチを後にしていた。

    日本サッカー界のパイオニアとして常にサムライブルーを牽引してきた“世界のヒデ”は25日、『FIFA.com』のインタビューに応じると、自身のサッカー観など様々な事柄について語っている。

    「そもそも私は自分が優れた能力を持っているとは全く感じていませんでしたし、だからこそ必死でトレーニングする動機が生まれました。手本とする選手? 誰もいなかったですね。なぜなら当時の日本は野球が絶大なパワーを持っていて、サッカーはまだ誕生したばかりという感じだったので、あまり知らなかったんです。だから私には目指すべきアイドルの選手も、好きなチームも存在しませんでした。ただ、漫画の『キャプテン翼』は好きでしたよ」

    90年代後期にイタリアサッカー界の隆盛を肌で感じていた同氏にとって、その後の衰退は驚きだったのかもしれない。

    「私の頃はヨーロッパサッカーといえばイタリアで、世界でも最高峰のリーグでした。私がまだ子供の頃に初めて買ったユニフォームもインテルとミランのものでしたよ。だからこそ、イタリアのペルージャから誘いが来た時はすぐに『イエス』と言いましたね」

    『FIFA.com』は記事の中で同氏を「日本サッカー界のアイコン」と評し、“唯一無二の存在”とも絶賛。最後に中田氏はW杯ドイツ大会後の早すぎる現役引退についても「サッカーの世界から離れる時は、その年齢に関わらず、いつも辛いものです。受け入れることは決して簡単じゃない」と回想している。
    2017-07-26_13h50_58
    7/26(水) 12:18配信
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170726-00010001-theworld-socc
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    1:Egg ★@\(^o^)/:2017/06/27(火) 15:45:37.24 ID:CAP_USER9.net
    アジア人で最も成功したのは…。
     
    16-17シーズンが終わり、欧州の移籍市場が活況を呈するなか、アジア人選手の価値は日々上がっている。Jリーグからもすでに鎌田大地(サガン鳥栖→フランクフルト)と堂安律(ガンバ大阪→フローニンヘン)が、それぞれヨーロッパへと旅立った。
     
    そんななかで、アジア・サッカー連盟(AFC)が公式サイトで、「アジアのサッカー史に残る5大移籍」という特集を組んでいる。欧州の舞台に挑戦したパイオニアたちの名前が列挙されるなかで、日本人として唯一紹介されたのは、1998年に平塚ベルマーレからイタリアのペルージャへと渡った中田英寿だ。
     
    果敢なドリブル突破と鋭いスルーパス、さらには強烈な個性を持ち合わせていた中田は、フランス・ワールドカップ後の1998年夏に21歳でペルージャへ。そんな中田の挑戦についてAFCは、「日本サッカー界の先駆者。岡崎慎司、香川真司、本田圭佑などサムライブルーの戦士たちがヨーロッパで活躍するための道を開いた」と称賛している。
     
    さらに中田が2000年にローマへ移籍した後の動向についてもまとめており、「彼はジャッロロッソ(ローマの愛称)で2001年にクラブ史上3度目のセリエA優勝の手助けをした」と、アジア人で唯一のスクデット獲得という功績を称えた。
     
    また、同特集では中田以外にも元イラン代表のアリ・ダエイ、元韓国代表のパク・チソン、元中国代表のスン・ジーハイ、そして現役選手で唯一、イラク代表でウディネーゼに所属するアリ・アドナンが「イラク人で最初のセリエA戦士」として紹介された。
     
    なかでも、京都サンガから欧州に羽ばたいたパク・チソンについてAFCは、そのアジア・サッカーにおける貢献度の高さを絶賛している。
     
    パク・チソンは2002年に京都からオランダのPSVに移籍。韓国代表でも師事したフース・ヒディング監督の下で主力として活躍する。そして、当時のアレックス・ファーガソン監督から誘いを受けて2005年にマンチェスター・Uに渡ると、7シーズンでプレミアリーグ制覇やクラブ・ワールドカップ優勝など13個のタイトル獲得に貢献した。
     
    そんな元韓国代表についてAFCは以下のように綴っている。
     
    「ファーガソンは重要な試合において努力を怠らない韓国人をメンバーに選んでいた。それだけにチェルシーと対戦した2008年のチャンピオンズ・リーグ決勝でベンチ外となったのは、彼のキャリアにおいて最悪の出来事だった。とはいえ、プレミアリーグ優勝4回など13個の主要タイトル獲得に貢献したことを考えれば、欧州に移籍したアジア人において最も成功したのは、やはりパク・チソンである」
     
    今やあらゆるツールを通してヨーロッパの主要クラブが各国でスカウトを行なう時代となった。そうした事実を踏まえれば、アジアから欧州に羽ばたく選手はこれまで以上に増える可能性は高い。そのなかで、日本人選手は中田やパク・チソン以上の活躍を見せられるか。期待したい。

    サッカーダイジェスト2017年06月27日
    http://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=27235

    写真




    FIVE OF THE BIGGEST ASIAN TRANSFERS
    http://www.the-afc.com/afc-champions-league-2017/five-of-the-biggest-asian-transfers
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    1:Egg ★@\(^o^)/:2017/06/26(月) 22:41:44.64 ID:CAP_USER9.net
    「トッティと同じ役割のため当初は疑問視も」と回顧。
     
    ローマは6月22日、エジプト代表FWのモハメド・サラーをリバプールに売却した。移籍金は4200万ユーロ(約50億4000万円)で最大800万ユーロ(約9億6000万円)のボーナスがつく。合計5000万ユーロ(約60億円)はクラブレコードとなる売却額だ。
     
    2016-17シーズンは公式戦通算で19得点・15アシストを記録したサラーだけに、売却に不満を抱くサポーターも少なくない。だが、FFPを守るためにローマは早期の主力放出を義務付けられており、これだけの金額での売却に一定数のファンが納得しているのも確かだ。彼らが願うのは、その利益がさらなる補強に回ることだろう。
     
    では、ローマがこれまでに大金を投じて獲得したのはどんな選手たちだったのだろうか。ローマ専門サイトの『forzaroma』が現地時間6月25日、1990年以降の歴代トップ10を発表した。あくまでも同メディアによるランキングだ。
     
    堂々の1位は、元アルゼンチン代表FWのガブリエル・バティストゥータ。10年を過ごしたフィオレンティーナを離れ、永遠の都に拠点を移した稀代のストライカーは、入団1年目の2000-01シーズンにセリエAで20得点をマークし、ローマにとって通算3回目となるスクデット獲得に貢献した。
     
    その2000-01シーズンのローマのスクデットといえば、元日本代表MFの中田英寿を忘れることはできない。

    2000年1月にペルージャから加入した中田は、フランチェスコ・トッティとのポジション争いに苦しみながらも、敵地でのユベントス戦で途中出場から1得点を含む2ゴールを演出。天王山でチームを2-2のドローに導き、優勝の立役者として高く評価された。同サイトは、「歴代移籍金ランキング」で5位にランクインした中田を次のように評している。
     
    「ローマのユニホームに袖を通した初の日本人選手は、3回目のスクデット獲得の1年半前に、2000年1月にフランコ・センシ(当時の会長)によって獲得された。中田の獲得に好意的ではない見解もあった。才能あるトップ下、つまりトッティと同じ役割だったからだ。少しの疑問があった。だが、それ以上ではなかった」

    >>2以降につづく
    no title
    サッカーダイジェスト 6/26(月) 16:57配信
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170626-00027212-sdigestw-socc
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    1:Egg ★@\(^o^)/:2017/05/27(土) 09:28:37.20 ID:CAP_USER9.net
    川口能活、41歳。彼のサッカー人生は、言い換えれば、日本代表の“世界挑戦”の歴史と重ね合わせることができる。絶対に負けられない戦いのなかで、彼はどんなことを考えていたのか。「川口能活クロニクル」と題した、日本サッカー界のレジェンドが振り返る名勝負の知られざる舞台裏――。
     
    第7回:1997年フランス・ワールドカップ アジア最終予選 第3代表決定戦
            日本 vs イラン
     
    ■日本サッカー史上もっとも重要度の高い一戦
    1997年11月16日――。この日は日本のサッカーファンなら誰でも知っていることでしょう。
     
    “ジョホールバルの歓喜”と呼ばれたフランス・ワールドカップ・アジア最終予選・第3代表決定戦は、日本初のワールドカップ行きが懸かった一発勝負の試合でした。
     
    当時、日本サッカー界は“崖っぷち”の状況にありました。4年後、日本は韓国との共催という形で、ワールドカップ開催を迎えることが決まっていました。歴史を振り返っても、自国開催で初出場となる国は一度もありません。サッカー史に残る不名誉な歴史を作ることなんて、誰も望んでいませんでした。
     
    “ドーハの悲劇”から4年。是が非でも、フランス大会で初出場したい――。連日のマスコミ報道の過熱ぶりを見ても、文字通り、日本国民の期待を一身に受けて臨んだ一戦。これまで日本はいろんな大事なターニングポイントとなる試合を迎えてきましたが、重要度で言えば、日本サッカー史上もっとも高いゲームだったと言っても過言ではないでしょう。
     
    ■イランの攻撃力は脅威だった
    当時、僕は22歳でした。若いからこそ勢いでプレーしていた部分はありました。1年前にはアトランタ五輪でブラジルに勝ったという自信もありました。日本中の期待を背負い、重圧と戦うことには慣れていたつもりでしたが、3か月間におよぶ長く厳しい最終予選をただガムシャラに戦ってきて、イランとの第3代表決定戦へとたどり着いたのです。
     
    中立地のマレーシアで開催されたイランとの一戦は、ご存知の通り、延長戦にもつれるほどの厳しい戦いとなりました。
     
    舞台となる中立地マレーシア・ジョホールバルには、およそ2万人の日本のサポーターが駆けつけてくれました。ホームの雰囲気のなかで戦えたのは、僕たちにとって大きな力になりました。
     
    当時、イランはアジア最強だと思っていました。日本は全員がいわゆる国内組の選手でしたが、対するイランは、ダエイ、アジジ、マハダビキア、バゲリなど、ブンデスリーガでレギュラーとしてプレーしている選手が多かった。とくに攻撃力は日本より上とも言われていましたから、無失点で終えることはできないだろうなと思っていました。

    つづく
    2017-05-27_11h29_31
    SOCCER DIGEST Web 5/26(金) 17:25
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170526-00026144-sdigestw-socc
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    1:Egg ★@\(^o^)/:2017/05/24(水) 15:56:17.82 ID:CAP_USER9.net
    「ウブロ ポップアップブティック表参道」期間限定オープン記念イベントが24日、東京・表参道ヒルズで行われ、日本代表のバヒド・ハリルホジッチ監督、元日本代表MFの中田英寿氏、漫画『キャプテン翼』の作者である高橋陽一氏が出席した。

    日本を代表するサッカー漫画『キャプテン翼』は日本のみならず、世界中で数多くのサッカー選手に影響を与えてきた。中田氏もその一人で、「『キャプテン翼』がなかったら僕のサッカー人生はなかっただろうし、日本サッカー自体もプロ化などいろいろなことが遅れていたと思う」と、その影響力の大きさを指摘する。

    「『キャプテン翼』で描かれていたプレーはだいたい試した」という中田氏はペルージャ時代の98年11月29日に行われたセリエAのピアチェンツァ戦で華麗なオーバーヘッドキックでゴール。中田氏を代表するベストゴールの一つと言われている。

    『キャプテン翼』でオーバーヘッドキックが出てくれば、「すぐに砂場で練習した。小学生のころからずっとやっていた」と少年時代を振り返り、「漫画を読むことでインスピレーションを受けていた。『キャプテン翼』を読んでいなければ、なかったシュートだったと思う」と感謝した。

    高橋氏に対して「漫画で描かれていることは(現実でも)必ずできると思っていた。なので(『キャプテン翼』で日本代表が)W杯で勝つところを描いてもらえたら日本も勝てると思う」と、冗談交じりに要望した中田氏。

    高橋氏は「主人公である大空翼の一番の目標は日本代表としてW杯トロフィーを掲げること。物語もそれを目指して描いているところです」と、笑顔で応じていた。
    2017-05-24_16h36_40
    ゲキサカ 5/24(水) 15:51配信
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170524-01640070-gekisaka-socc
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    1:Egg ★@\(^o^)/:2017/05/19(金) 18:36:49.81 ID:CAP_USER9.net
    SPALがセリエBを制し、2位ヴェローナが1年でセリエA復帰

    18日にセリエB最終節が行われ、自動昇格とプレイオフへ進出するクラブが決まった。

    すでに前節の試合で昇格を決めていたSPALがバーリを相手に2-1で勝利し、勝ち点を「78」まで伸ばしてセリエB優勝。2位につけていたヴェローナはチェゼーナとスコアレスドローで試合を終え、勝ち点「74」でなんとか2位をキープし、1年でセリエA復帰を勝ち取った。

    一方、プレイオフへ進出するクラブは、3位フロジノーネ、4位ペルージャ、5位ベネヴェント、6位チッタデッラ、7位カルピ、8位スペツィアに決定。6クラブがセリエA昇格の最終枠をかけて争う。そして、ヴェローナと勝ち点で並ぶも直接対決の成績で自動昇格を逃したフロジノーネと、かつて中田英寿氏が所属したペルージャにはシード権が与えられ、前者は6位と7位の勝者と、後者は5位と8位の勝者と準決勝で対戦する。

    2度の経営破綻により、一時はセリエDまで降格していたペルージャが2年ぶりのプレイオフ入りを果たし、2003-04以来のセリエA復帰が手の届く位置まで来ている。はたして、最後のひと枠に飛び込むのはどのクラブになるのだろうか。
    2017-05-19_19h20_29
    theWORLD(ザ・ワールド) 5/19(金) 18:31
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170519-00010012-theworld-socc
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    1:@Egg ★@\(^o^)/(★):2017/05/17(水) 07:33:30.46 ID:CAP_USER9.net
    東京国際ユースに参加したボカの選手は、まったく中学生らしくなかった。
     
    トルシエなら「フラットスリー」、ジーコなら「自由」、オシムなら「考えて走る」。日本代表の歴代外国人監督には、それぞれ強化指針となるキーワードがある。現職のハリルホジッチは、もちろん「デュエル」。フランス語で「決闘」を意味する。日本的にいえば「球際の強さ」となるだろう。
     
    昨年11月に行なわれたサッカーダイジェスト誌のインタビューで、指揮官は次のように述べた。「絶対に伸ばさなければいけない要素です。そのためにはトレーニングしかありません。筋力を強化するには頭での理解も大事です。」本気でデュエルを向上させる気があるのか。フィジカルとメンタル、両方からアプローチをすべきです」
     
    少し時間が経ってしまったがゴールデンウィーク中、このデュエルの見本となるような試合を見た。
    東京国際ユース(U-14)の準決勝、東京都トレセン選抜と対戦したアルゼンチンの名門ボカ・ジュニオルスが、デュエルを前面に押し出したゲームを見せてくれたのだ。
     
    ボカの面々は、序盤から東京都トレセン選抜がボールを持って前を向くたびに一気に間合いを詰め、腰から突き刺さるようなタックルを繰り出した。」「ズダ?ン!」と激しい打撃音が駒沢陸上競技場に響き渡り、直後、東京の選手が苦痛に表情をゆがめて倒れ込む。

    こういうシーンが何度か続き、ボカは完全にゲームを掌握した。及び腰になった東京は、自陣から出ることすらままならなくなった。
     
    試合は3-0でボカが快勝。18対2というシュート数が、内容でも圧倒したことを物語る。ちなみにボカは決勝でFC東京を破り、優勝。スコアは1-1、PK5-4と苦戦したが、こちらもシュート数では14対2と圧倒した。
     
    肉弾戦で敵を委縮させるボカの試合運びは、日本ではなかなか見られないものだ。これは肉体を鍛えれば克服できるというものではないと思う。荒々しいタックルの他に、ボカには特筆すべきものがあった。それはたたずまい、振る舞いである。
     
    ひと言でいえば、まったく中学生らしくない。堂々としているというより、ふてぶてしく尊大で傲然としているのだ。一生懸命プレーする東京都トレセン選抜とは、とても同じ年頃には見えなかった。

    ◆U-20代表に望むのは勝利だけでなく…。
     
    ボカのデュエルの強さは、この押し出しの強さと無縁ではない。サッカーは委縮したら負け、文字通り決闘なのだ。そう考えると、ハリルホジッチ監督の悩みは永遠になくならないのかもしれない。日本は教育としてのサッカーを推進し、従順で聞き分けの良い選手を育てようとしているからだ。
     
    日本代表で活躍した「デュエルに強い選手」というと、中田英寿、中澤佑二、田中マルクス闘莉王、本田圭佑あたりが思い浮かぶが、いずれもひと癖もふた癖もある「面倒くさい」男たちだ。日本で少々厄介に思われるような選手でなければ、世界では戦っていけない。
     
    私はいま韓国の港町、釜山で本稿を書いている。今週末に開幕するU-20ワールドカップを観戦するため、一足早く開催国に乗り込んだのだ。実に5大会ぶりの出場となる日本代表に望むのは、勝利だけではない。精神的なデュエルに強い、若者の台頭を心待ちにしている。
     
    取材・文:熊崎 敬(スポーツライター)

    SOCCER DIGEST Web 5/16(火) 17:00配信
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170516-00025751-sdigestw-socc

    写真
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    1:仙台焼肉 ★@\(^o^)/:2017/04/13(木) 18:33:26.03 ID:CAP_USER9.net
    13日、東京ミッドタウンでサッポロ生ビール黒ラベル「40周年アニバーサリーイベント」が実施され、CMでメインキャラクターを務める俳優の妻夫木聡さんが登壇した。

    今回は黒ラベル40周年を記念して、人気CMシリーズ『大人エレベーター』第27弾に今年40歳を迎えた元サッカー日本代表の中田英寿氏を起用。イベントに登場した妻夫木さんが撮影時のエピソードを披露した。

    撮影は「和気あいあいと進んだ」ようで、実際のCMでもテンポよく会話が進む。「用意してもらった質問案以外にもざっくばらんに話しながら撮影しています。その方の言葉を引き出せたら、という思いで臨んでいる」という妻夫木さんには、今回どうしても聞きたかったことがあったという。

    「若くしてサッカーを辞めたことに対してどう思っているのか。それがすごく気になっていたんです。しっかりと受け応えしてくださった中田さんは、その質問にも答えてくださって、『決して嫌いになったわけではないけれど、サッカーを楽しめなくなった自分がいた』という言葉が強く印象に残りました」

    中田氏の言葉に心を打たれたようで、「僕は役者を楽しめなくなったことはないんですけど、もし、そういう思いになったら自分のことを考える時なのかもしれない」と続けた。

    第27弾も“大人”というテーマについて本音で語り合うストーリーに仕上がっており、中田氏が考える大人像や人生観について話している。

    「(これまでCMで共演した)みなさんはとにかく人生を楽しんでいらっしゃる。何が“大人”なのかというはっきりとした答えはないけれど、みなさんどこか“大人”というものに憧れを抱きつつ、今の自分と向き合いながら人生を楽しんでいる。そこ心は僕も大切にしていきたいです」

    同じくイベントに出席した代表取締役社長の髙島英也氏も、中田氏の演技には「40周年にふさわしいゲスト。大人の世界観を見事に表現してくれました」と納得の表情を浮かべた。

    「今年も全国に飲用体験の機会を提供していきたい」とする髙島社長。13日から東京・六本木にある東京ミッドタウン アトリウムで、14日からは大阪・西梅田スクエアでサッポ生ビール黒ラベル『THE PERFECT BAR 2017』を期間限定でオープンする。来場者は1回500円で40種類の中から好きなグラスを選び、「パーフェクト黒ラベル」(1杯とおつまみ付)を体験することができる。
    2017-04-14_11h47_20
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170413-00575767-soccerk-socc
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    1:Egg ★@\(^o^)/:2017/04/11(火) 17:32:42.34 ID:CAP_USER9.net
    サッカー元日本代表・中田英寿氏は、いま日本酒に本気で向きあっている。2006年、29歳で現役を引退。2009年には沖縄の波照間島から日本全国を巡る旅をスタートし、6年半かけて北海道・宗谷岬までたどり着いた。

    「各都道府県、短いところで1週間、長いときは何度も足を運んで1か月以上かけてまわりました。観光地を巡るというよりは、農業や食、伝統工芸、伝統芸能などに携わる人々に出会うための旅です。そこでたくさんの人や文化に触れあい、あらためて日本の魅力を感じたんです」(中田氏・以下同)

    6年半の間で旅に費やしたのは、のべ500日以上。1台の車で約10万kmを走り、2000か所以上を訪問し、1万人以上に出会った。その旅の中でとりわけ彼の心を惹きつけたのが、日本酒だったのだ。

    現役を引退してから11年間、定住する家を持ったことはない。東京から海外、そして国内の地方と飛び回る生活に家は必要ない。旅人が羽根を休めるのは、ホテルか旅館、もしくは飛行機の機内だけだ。そんな旅人生のなかでも、時間さえあれば酒蔵を訪ねている。

    2月初旬、中田氏の九州の酒蔵巡りに同行した。

    「この華やかな香りは、あの酵母を使っているからなんですね」

    「使っているのは硬水ですね。この酒米だと溶けにくいんじゃないですか?」

    どの酒蔵でも最初は、「あの中田英寿が来た!」とお客様扱いされるが、蔵を見学しながら専門的かつ鋭い指摘や質問を続けているうちに、どんどんプロ同士の日本酒談義が盛り上がっていく。出された酒は残さず飲み、地元の肴とともに楽しむ。そして「美味しい」と思ったとき、最後に声をかける。

    「今度、日本酒のイベントをやるんです。ぜひ参加していただけませんか?」

    中田氏は、昨年から、日本全国の銘酒が一同に揃うイベント『クラフト サケ ウィーク』(東京・六本木)を開催している。日本酒への愛情を肌で感じた蔵人たちは、皆喜んでイベントへの参加を約束する。古伊万里酒造の前田悟専務も中田氏の情熱にほだされたひとりだ。

    「酒蔵にいらした時は驚きましたが、中田さんに声をかけてもらったのは本当に光栄です。これまで業界内でがんばってきたつもりでしたが、販路の開拓などでどうしても限界を感じていました。中田さんのように世界を知る人に日本酒業界を引っ張っていってもらえるなら、協力は惜しみなくさせてもらうつもりです」(前田専務)

    こうして全国の148蔵が『クラフト サケ ウィーク』に集結するのだ。

    3月21日、初の地方開催となった『クラフト サケ ウィーク 博多』の初日、午後12時のスタート時点では、あいにく冷たい雨が降っていた。博多駅前に設置された会場は、大きな屋根があるとはいえ、寒さはいかんともしがたい。連休明けの平日の昼間、集客に苦労するのではないかと誰もが心配した。

    だが、間もなく中田氏が会場に現れると、それを待っていたかのように雨が止み、雲間から陽射しが照りこんできた。

    「僕、晴れ男なんですよ」

    そういって笑顔を見せると、酒蔵と料理店の出店を1軒ずつ訪ね、丁寧に挨拶をしてまわる。各酒蔵が提供する酒は3種類ほど。それを1杯ずつすべて飲み、楽しそうに語り合う。

    中田氏の登場とともに増え続けた客も、最初は彼の姿を目で追っているが、いつの間にかそれぞれが酒宴を楽しんでいる。夕方以降は着席、立ち席ともに満席の賑わいとなった。

    中田氏は途中休憩を挟んだものの、イベントが開催されている時間帯はほぼ会場内にいて、地元メディアの取材に応じつつ、プロデューサーとして全体に目を配っていた。

    「プロとしてやるからには、自覚もあるし、責任も感じています。とはいえ、まだ日本酒業界では新人のようなもの。すべてが簡単にいくとは思っていません。10年、20年、もっとかかるかもしれませんが、じっくり腰を据えて取り組んでいきたい。

    この『クラフト サケ ウィーク』を全国各地で開きたいですし、いずれはワインのように世界中の人が日本酒を楽しむようになればいいですね」

    中田氏の本気は伝わってきた。彼が言う“日本酒のポテンシャル”も理解できたような気がする。だが、その本気を感じれば感じるほど、別の思いが湧いてくるのも事実だ。

    つづく

    2017年4月9日 7時0分 NEWSポストセブン
    http://news.livedoor.com/lite/article_detail/12910795/
    2:Egg ★@\(^o^)/:2017/04/11(火) 17:32:52.43 ID:CAP_USER9.net
    あの名将“岡ちゃん”(岡田武史元日本代表監督/現・日本サッカー協会副会長、今治FC代表取締役)も同じ心配をしている。

    「日本酒もいいけど……そろそろ日本サッカーのために現場に戻ってきてほしいですね。彼ほど、純粋にサッカーを愛した選手はいなかった。世界で戦った彼の経験は、日本サッカーの大きな財産だし、彼なら時代の変化に合わせて新しいアイデアをどんどん出してくれるはず。本当は今すぐにでも戻ってきてほしいくらいですよ」(岡田氏)

    勤勉で多才な中田氏なら、サッカーと日本酒のどちらにも真剣に取り組み、さらなる高みに引き上げることができるだろう。日本サッカーの勝利を美味しい日本酒で祝う。そんな日が来ることを期待せずにはいられない。

    ◆なかた・ひでとし/1977年、山梨県出身。日本、イタリア、イギリスでサッカー選手として活躍。W杯には3大会連続出場。2006年に現役引退後は国内外の旅を続け、日本文化復興や東日本大震災の復興などを目的としたチャリティー活動を行なう。

    2016年「JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を設立。国内外で日本酒イベントを行なうなど伝統文化・工芸の普及を目指して活動中。4月7日より東京・六本木ヒルズアリーナにて『クラフト サケ ウィーク』を開催。全国から中田氏自身が選んだ100種類の酒を楽しむことができる。詳細はhttp://craftsakeweek.com/まで。

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