海外サッカー日本人選手速報 WORLD SAMURAI

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    タグ:中田英寿

    20180629hochi235_0

    1:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2018/07/05(木) 17:55:41.785 ID:0zrULrJu0.net
    期待してる
    5:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2018/07/05(木) 17:59:45.185 ID:L62ArT0k0.net
    中田てそんな監督の才能なさそうだけどな

    中田世代だったら宮本ツネ あたりだろうね
    6:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2018/07/05(木) 18:00:16.549 ID:bIig1DVF0.net
    ライセンス持ってないだろ
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    1:サイカイへのショートカット ★:2018/06/29(金) 23:13:45.64 ID:CAP_USER9.net
    中田英寿氏、日本代表への思い激白「監督は2大会とか長期間で見ない限り、積み上げ難しい」
    2018年6月29日 22:57 スポニチ Sponichi Annex サッカー
    https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/06/29/kiji/20180629s00041000510000c.html

    中田英寿氏



    サッカー元日本代表の中田英寿氏(41)が29日放送のTBS系「緊急生放送!FIFAワールドカップ 祝!日本代表・決勝T進出決定SP」(金曜後8・52)で、日本代表への本音をテレビで初激白した。

    2時間の生放送では、中田氏をはじめ歴代日本代表たちの、激変したその後の人生を追跡取材。中田氏が社長を務める会社のこだわりオフィスをテレビで初公開するほか、「国内でたまたまベッカムと会った話」「初めてお酒を飲まされた人物の話」など、これまで語ったことのない秘蔵エピソードを披露した。

    また、これまでサッカーに関しての発言を控えてきた同氏が、日本代表への熱い本音を語る場面も。96年アトランタ五輪でともに戦った元日本代表の前園真聖氏(44)に、ワールドカップまで2カ月しかない中で就任した西野監督について聞かれると「2カ月で監督がどうこうできるもんじゃない。結局は、選手が自分たちでどれだけまとまってやれるか。それよりも、このワールドカップをステップにして次につなげるためにどうしていくかということを西野さんたちは考えないといけない」と答えた。

    今後の日本代表監督とチームづくりについて「外国人監督が4年間やって、(結果が)良くても悪くてもワールドカップが終わったら契約終わって次にいく…。それを続けていても、その先には絶対に進まないと思う。

    例えば、日本人監督で次の3大会はやっていこうとか、外国人監督に任せるのだったら2大会は任せてやってみようとか、もう少し長い期間で見ない限り、積み上げることが難しい。そうしないと監督は結局その4年間だけのためにやってしまうだろうし。それだと結局は意味がないのでは」と持論を展開した。
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    1:Egg ★:2018/06/15(金) 15:53:26.78 ID:CAP_USER9.net
    私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第6回



    W杯で輝けなかった「エース」の本音~中村俊輔(2)

    2010年南アフリカW杯に向けて、新しいスタートを切った日本代表はイビツァ・オシム監督が指揮を執った。

    ■ドイツW杯、中村俊輔が明かす「俺が輝けなかった」理由

    中村俊輔は、中田英寿引退後の代表チームにあって、中心選手になっていた。その存在感は、ジーコジャパン時代の中田のような、絶対的なものだった。

    2007年11月、オシム監督が脳梗塞で倒れると、岡田武史監督が代表の指揮官に就任した。

    W杯予選が間近に迫る代表合宿において、岡田監督は中村、中澤佑二、遠藤保仁の3人を部屋に呼んで、「おまえたち3人が(チームの)中心になってやってくれ」と伝えた。中澤がキャプテンになり、経験豊富で試合を組み立てる力がある中村と遠藤がチームのけん引役を任されたのだ。

    「代表のために、代表が強くなるために『何かできないかな』っていう意識が強かった」

    中村は相当な覚悟で、岡田監督が投げた”ボール”を受け取った。

    岡田監督は、前から積極的にプレスをかけてボールを奪い、常にボールを保持する攻撃的なサッカーを推進していた。中村と遠藤は、そのサッカーにおける攻撃の軸となった。

    一方で、チームは世代交代が進み、新しい選手がどんどん入ってきていた。田中マルクス闘莉王、松井大輔、大久保嘉人、今野泰幸、長谷部誠、本田圭佑、長友佑都、内田篤人らだ。

    若い選手たちは野心に燃え、ポジションを争う意欲を隠そうとしなかった。

    当時、中村に最も牙をむいてきたのが、本田だった。オランダのVVVフェンロでプレーしており、まだブレイク前夜だったが、日本の”エース”からポジションを奪うべく、果敢に挑んできた。

    「本田は、他の選手と違っていたね」

    世間にも話題となったのは、アジア最終予選を突破したあとに行なわれたオランダ遠征のときだ(2009年9月)。1試合目のオランダ代表との試合で、FKのキッカーをお互いに譲らずに衝突したのだ。以来、中村と本田は「ライバル」と書き立てられた。

    スコットランドのセルティック所属時、欧州チャンピオンズリーグでマンチェスター・ユナイテッドを震撼させた日本代表の「10番」と、オランダ2部リーグにいたチームを1部昇格に導いた日本の「ニューカマー」との対立図式は、メディアにとって格好のネタとなった。

    中村は、誰かと比較されたり、誰かとライバルという取り上げられ方をされたりしたのは、本田が初めてではない。ジーコジャパン時代は、同じく攻撃的な選手である中田と比較されていた。

    「(メディアでは)ヒデさんとも比較されたけど、どうこうっていうのはなかった。ジーコのときのヒデさんは、特別な存在。(中田が所属していた)当時のローマは、今で言うバルサとかレアルみたいな感じで、そこでプレーできる力と経験を持つ選手は、日本代表には他にいなかった。

    たぶん、代表でプレーするときに(中田が)感じる、俺らへの物足りなさやストレスはすごかったと思う。ヒデさんは徐々に俺たちのレベルに寄ってきてくれたけど、ヒデさんが(本来の)ヒデさんでいられるレベルの選手が(代表には)ほとんどいなかった。

    しかも、本当ならヒデさんがトップ下をやるべきなのに、俺みたいなちょこまかした選手がトップ下をやって、ヒデさんはボランチをやった。同じレベルではなくて、本当に申し訳ないって思っていた」

    つづく

    6/15(金) 11:32配信
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180615-00010004-sportiva-socc
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    1:3倍理論 ★:2018/06/13(水) 21:58:36.93 ID:CAP_USER9.net
    東野幸治(50)がMCを務める日本テレビ「1周回って知らない話」(水曜後7・00)が13日に放送され、「日本を変えた選手ベスト5」を発表。そこには日本サッカー史を変えた、誰もが納得の偉大な5人の名前が並んだ。

    番組ではJリーグOBや新聞記者、指導者など、サーカーの有識者50名にアンケートを依頼。それぞれ「日本を変えた選手」と選考理由を挙げてもらい、票数の多かった5人をランキング形式で発表した。

    まず、第5位にはジュビロ磐田・中村俊輔(39)がランクイン。世界に誇るフリーキックの名手として、多くの票を集めた。

    第4位は1968年・メキシコ五輪で銅メダル獲得の立役者となった釜本邦茂氏(74)。日本代表で75得点を挙げており、現在もなお歴代最多得点記録を保持している。

    第3位は横浜FC・“カズ”こと三浦知良(51)が入った。50歳を越えたいまも現役を続ける、まさにレジェンドというべき存在だ。

    第2位に入ったのは中田英寿氏(41)。選考理由は、世界最高峰の舞台であったイタリア・セリエAで活躍し、日本人が通用することを知らしめたことが挙げられた。

    名だたる英雄が並ぶ中、第1位を獲得したのは澤穂希さん(39)。11年ワールドカップで優勝、12年五輪で準優勝の立役者となり、11年にはアジア人で初となるバロンドール(FIFA最優秀選手賞)を獲得した澤さんが、文句なしの頂点に輝いた。

    日本代表で共に戦った丸山桂里奈さん(35)は、澤さんについて「チームの柱。『私の背中を見てプレーして』とみんなに言って、(その通りに)みんながついていくという感じだった。一番に嫌なことも全部自分でやるタイプなので、(みんな納得して)それについて行った」とコメント。澤さんの実績と人柄に触れ、出演者たちは誰もがうなずくばかりだった。
    2018-06-13_23h41_41
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180613-00000164-spnannex-ent
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    1:かばほ~るφ ★:2018/06/11(月) 16:30:20.75 ID:CAP_USER9.net
    中田英寿氏 日本代表については語らず…「お酒に例えるのは難しいかな」

    元サッカー日本代表の中田英寿氏(41)が10日、都内で行われた世界一の日本酒を決めるコンペティション「SAKE COMPETITION 2018」表彰式に出席した。

    今回で7回目を迎える世界最大規模の日本酒コンペで、市販酒のみ出品できるのが大きな特徴。今年は参加蔵数約455、出品酒1772点で、「純米大吟醸酒部門」「純米吟醸部門」「純米酒部門」など全8部門を審査し、上位入賞酒を発表・表彰する。中田氏は、2016年に自らの発案で設立した「SuperPremium部門」のゲストプレゼンターを務め、受賞者に記念品などを手渡した。

    イベント後の囲み取材では、今週から開催されるサッカーW杯ロシア大会について元日本代表の中田氏からコメントを引き出そうとした記者から「日本代表をお酒に例えるとどんなお酒か?」との質問が飛んだ。しかし、中田氏は「日本代表の話をしてほしいからってお酒に例えるのは難しいかな。その質問には無理があるのでは」と一蹴し、W杯については語らずじまいだった。

    日本酒の世界への広がりについて中田氏は「飲料は食事とともに広がる事が多い。日本酒は、日本食以外のフレンチや中華の時でも飲まれるように広がっていると感じる」としながらも、「ワインはソムリエや色んな伝える人がいるが、日本酒にはいない。読めないラベルをどう伝えていくのかが問題だ」と指摘した。
    [ 2018年6月11日 15:45 ]

    スポニチ
    https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/06/11/kiji/20180611s00041000194000c.html
    都内の「SAKE COMPETITION2018」表彰式に出席した中田英寿氏
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    1:サイカイへのショートカット ★:2018/06/05(火) 20:41:15.55 ID:CAP_USER9.net
    ローマ訪問の中田英寿氏を古巣が歓迎「誰かと思ったら…イタリア王者ナカタだ!」
    6/5(火) 19:28配信 GOAL

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180605-00000027-goal-socc

    ローマでプレーしていた中田英寿氏(C)Getty Images


    元日本代表の中田英寿氏が4日、古巣のローマを訪問した。イタリア紙『ガゼッタ・デロ・スポルト』が報じている。

    中田氏は現役時代、日本人選手の海外組先駆者としてセリエAに渡り、ペルージャやパルマなどで活躍。2000年冬に加入したローマでは、トッティとポジション争いを演じたほか、翌シーズンにはユヴェントス戦でスクデットを呼び込むゴールを決め、日本人初となるセリエA制覇を成し遂げた。中田氏は、スクデットをもたらした英雄として今でもローマで人気が高い。

    セリエAに移籍した1998年から今年で20年。節目の年を迎えた中田氏は自身の軌跡をたどり、ペルージャに続いてローマのトリゴリアを訪れた。中でも元ローマのレジェンド、ブルーノ・コンティ氏と長らく話していたとみられる。

    ローマもまた公式ツイッターを更新し、2001年の優勝メンバーの訪問を伝えている。中田氏の写真を添え、「今日、トリゴリアへ誰がやって来たか思ったら…元ジャッロロッソ(黄・赤:ローマのこと)のイタリア王者のヒデトシ・ナカタだ!」と歓迎した。ローマはさらに、公式ウェブサイトでも中田氏を紹介している。

    「今日はトリゴリアを特別ゲストが訪れた。元ジャッロロッソのヒデトシ・ナカタだ。フルヴィオ・ベルナルディーニ・スポーツセンターを訪問してくれた。日本人MFは、2000年1月から2001年6月までローマのユニフォームでプレーした。ファビオ・カペッロ指揮下でチームは史上3度目のスクデットを獲得した。通算40試合に出場、6ゴールを決めた」
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    1:名無し募集中。。。:2018/06/01(金) 16:50:12.80 ID:0.net
    誰なんだ
    2:名無し募集中。。。:2018/06/01(金) 16:51:29.84 ID:0.net
    ホンダ
    ケイスケホンダ
    no title

    3:名無し募集中。。。:2018/06/01(金) 16:51:31.95 ID:0.net
    松木安太郎
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    1: 久太郎 ★ 2018/05/19(土) 10:33:14.06 ID:CAP_USER9
    セリエBのパルマが来シーズンのセリエA復帰を決めた。

    2015年に破産し、そのペナルティとしてセリエD(イタリア4部)まで降格したパルマだが、1年ごとに昇格と決め、今シーズンはセリエBを舞台に戦う。シーズン最終節を前にパルマは自動昇格のできる2位フロジノーネと勝ち点2差の3位。18日の結果次第では昇格の可能性が残されているものの、ホームで最終節を迎えるフロジノーネが優位との見方が強かった。

    しかし、パルマが敵地でスペツィアに2-0の勝利を収めた一方で、フロジノーネはフォッジャに試合終了間際に同点ゴールを許してホームで2-2の引き分け。勝ち点72で並んだものの、パルマが2位を確定して自動昇格の権利を手に入れた。

    1990年代はセリエA有数の強豪クラブとなり、国内のみならず、欧州カップ戦でも2度の優勝を誇る古豪のパルマだが、2015年の破産でクラブは消滅。「SSDパルマ・カルチョ1913」という新たなクラブ名で2015-16シーズンからセリエDで再スタートを切った。元日本代表の中田英寿氏が所属したことでも有名な同クラブが4シーズンぶりにセリエAの舞台に復帰する。

    なお、3位に転落したフロジノーネは、パレルモ、ヴェネツィア、バーリ、チッタデッラ、ペルージャとともにセリエA昇格を懸けてプレーオフを戦う。
    2018-05-19_11h50_26
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180519-00000002-goal-socc

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    1:りこぴん ★:2018/04/14(土) 15:52:32.99 ID:CAP_USER9.net
    元サッカー日本代表MFの中田英寿氏が12日、都内で行われた「ナンバースポーツビジネスカレッジ」にスポーツビジネスで活躍する講師として出席した。

    現役当時と変わらぬ体形で登壇した中田は「自分が面白いと思うことをするためには環境を整えないといけない。サッカーをやっていた時も走るのは嫌いだったけど、走らなければ勝てないし、走れば有利になる。ビジネスもそれは同じです」とビジネス論を展開。15年に「株式会社 JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を設立するなど経営者としての才能も発揮している同氏は「ここ数年、日本酒など日本の伝統産業が世界的な市場になった。でも日本では、今まで通りで世界に合わせたやり方にはなっていない。それをビジネスとして捉えるより、皆がハッピーになる仕組みをつくりたい」と掲げた。

    話題はW杯2か月前に監督交代した日本代表にも及び、「窮地かは分からないが、判断が遅い。たとえ良い結果が出たとしても、積み重ねにならないし、未来への判断材料にならない」。96年アトランタ五輪では西野監督と意見が衝突したこともあったが、「一緒にやってきた指導者とは皆言い争いをしたし、西野さんだからというわけじゃない」と振り返った。
    2018-04-14_16h33_03
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180414-00000128-sph-socc
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