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    タグ:柳沢敦

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    1:スレ立て代行@ベクトル空間 ★:2018/06/05(火) 11:14:17.54 ID:CAP_USER9.net
    http://www.so-net.ne.jp/antlers/news/release/65795

    柳沢コーチへの処分について
    2018年06月05日(火)

    標記の通り、弊クラブ所属、柳沢敦コーチの規律違反に対する処分を決定しましたので、お知らせいたします。

    ■処分内容
    規律違反による自宅謹慎処分(期間は未定)

    ■処分の理由
    2018年4月6日、J1第6節湘南戦の前日、遠征先のホテルにてチームに無断で第三者と会っていたため。一部週刊誌報道を受けて本人へ事情聴取を行い、規律違反を認めたため、処分を下した。
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    1:動物園φ ★:2018/04/10(火) 12:03:15.53 ID:CAP_USER9.net
    4/10(火) 11:30配信
    スポニチアネックス

    02年日韓、06年ドイツの2大会で得た経験について語る柳沢氏

    ◇【レジェンドからの言葉(1)】 柳沢敦

    6月に開幕するW杯ロシア大会で日本代表が結果を残すためには、何が必要なのか。過去のW杯に出場した代表戦士が、同じポジションの後輩たちへ贈る「レジェンドからの言葉」。連載第1回は、FWとして2大会に出場した柳沢敦氏(40=鹿島コーチ)。ワンプレーで“審判が下された”ストライカーが語る、W杯で求めるべきものとは――。
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    【写真】2006年W杯ドイツ大会のクロアチア戦の後半、柳沢が決定的なシュートを外す

    柳沢氏にしか伝えられない、柳沢氏だからこそ伝えられるFW陣への言葉だった。

    「W杯で、ゴールは大事」

    センターサークル付近から見上げた16年前の夕刻の空の色は、今も覚えている。最高潮に達した緊張は少し収まり「今ここに立てていることが幸せ」という感情がこみ上げた。気合がみなぎった瞬間に初戦のキックオフを迎えた02年日韓大会。初戦ベルギー戦と続くロシア戦で、稲本への2本のアシストを記録した。「(点を)決めたイナを褒めるべき」と言う2つのパスは紛れもなく日本を史上初の決勝トーナメントに導くプレーだった。

    「FWの仕事は、点を取ることだけじゃない」。ずっとそう思い続けていた。4年後のドイツ大会は、本番の3カ月前に第5中足骨を骨折しながら、24時間態勢のケアで乗り越えて再びピッチに立った。ところが勝利が義務づけられた2戦目のクロアチア戦で、絶好の決定機を外すミスを犯してしまう。

    動きだしのセンスは誰にもまねできない。味方のチャンスを献身的に生み出すプレーは同僚をも虜(とりこ)にするほど。ただ、W杯での一つのプレーだけが象徴的に切り取られ、世間から批判を浴びた。

    「ある意味“判決”が下ったような感覚になった」

    もちろん「自分は信じるFW像を貫き通して現役を終えた」と言い切るサッカー人生には誇りがある。それでも、逡巡(しゅんじゅん)を経て、思い至った。やはり「W杯で、ゴールは大事」と。

    日韓大会で16強入りした日本は、ドイツ大会では1次リーグ敗退。「(突破への)半分以上を占めていると言ってもいいくらい」左右したのは初戦の結果だった。「(日韓は)初戦の引き分けが勢いをもたらしてくれた。自分たちは歴史を変えるんだという強い団結力があった」。個人の準備では緊張感をほぐす精神コントロールも大切な要素だったという。

    「大きな舞台だけに、いい意味でも悪い意味でも与える影響は大きい。結果いかんによっては評価も大きく変わる」。それが柳沢氏の経験したW杯。今大会のFW陣にはあえてこんなエールを送る。「逆に、その舞台を思う存分楽しんでほしい。プレッシャーもあるでしょうけど、最高の舞台だということは間違いないので」
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    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180410-00000085-spnannex-socc

    サッカーW杯・日本VSクロアチア・柳沢のシュート
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    1:風吹けば名無し:2018/01/23(火) 09:22:18.93 ID:yq9SHsm/r.net
    鹿島では三冠
    代表では無敗
    この二人より結果だしてる組み合わせは他なにないやろ
    2:風吹けば名無し:2018/01/23(火) 09:22:50.99 ID:g8BZK+NC0.net
    髪の毛少ないけど流石におかざき
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    1:豆次郎 ★:2017/11/16(木) 21:53:18.06 ID:CAP_USER9.net
    11/16(木) 19:40配信
    Football ZONE web
    【天才レフティーの思考|No.4】元日本代表FW柳沢を今でも敬愛 「あの人は、いつも数手先を考えて動いていた」

    「パスセンスを磨いてもらった」 中村俊輔が絶賛、今も感謝する唯一無二の選手とは?

    日本一のFKキッカーは、歴史に残る名パサーとしても人々を魅了して止まない。24本のJ1最多直接FKゴール記録を保持するJ1ジュビロ磐田の元日本代表MF中村俊輔は、クラブと代表の両方で高精度かつ創造性に溢れるパスを供給し、数々のチャンスを創出してきた。“演出家”としても強烈な存在感を示すレフティーだが、「パスセンスを磨いてもらった」と感謝する唯一無二の存在がいるという。


    「自分のパスセンスを磨いてもらった一番の選手はヤナギさん。あの人は、いつも数手先を考えて動いていた」

    中村が今でも敬愛の念を抱き続けている相手――それは、かつて鹿島アントラーズの黄金期を支えた一人、元日本代表FWの柳沢敦だ。1996年に富山第一高から鹿島に加入した若武者は、ルーキーイヤーに8試合5得点と結果を残すと、翌97シーズンは25試合8得点でJリーグ新人王を受賞。「超高校級」と謳われた才能は一気に花開き、98年には岡田武史監督率いる日本代表で初キャップを刻むなど、一気にスターダムを駆け上がった。

    78年生まれの中村にとって、77年生まれの柳沢は一学年上の先輩にあたる。そんな二人は97年にマレーシアで開催されたワールドユース選手権(現・U-20ワールドカップ)に揃って出場。山本昌邦監督率いるチームで、中村はMF大野敏隆とダブル司令塔を形成し、柳沢とFW永井雄一郎の強力2トップにパスを通して攻撃を構築した。この大会で日本は、2大会連続ベスト8の結果を残している。

    その後、2000年のシドニー五輪(ベスト8)をはじめ、00年から06年まで日本代表で長年共闘した間柄だが、中村は柳沢とプレーした当初に「大きな衝撃を受けた」と明かす。

    柳沢の“動きのカラクリ”を中村視点で紐解く

    「パスセンスを磨いてもらった」 中村俊輔が絶賛、今も感謝する唯一無二の選手とは?

    柳沢と言えば、ボールを持っていない時のオフ・ザ・ボールのプレーに定評があり、巧みな動き出しと周りを生かす術は群を抜いていた。中村も「自分が20歳の時、ヤナギさんの動きに衝撃を受けましたからね」と証言する。柳沢のワンプレーを例に出し、中村は次のように説明を始めた。

    「例えば、自分から味方に一本の横パスを入れた時、そこからダイレクトのパスが前線に出てくるタイミングを見計ってFWが動き出すのが一般的。でも、ヤナギさんの場合は違う」と力を込める。決定的な違いは、動き出すタイミングにあると中村は明かす。

    「ヤナギさんは、自分が味方に横パスを出すのと同じタイミングで、もうDFから離れるような動き出しを始めている。普通に考えれば、動くのはまだ早いですよね。だって、そもそも味方にまだボールが渡っていないわけですから、前線にパスも出てきません」

    中村は身振り手振りを交えながら、プレーの描写を熱弁する。「じゃあ、その動きの意味はなんなのか?」と続けて間を置くと、“カラクリ”を中村視点で紐解いていく。

    「ヤナギさんは、早めに動き出しながら、最初にパスを出した自分の名前を呼ぶんですよね。こっちからすると、まだタイミング的に早いから『え?』ってなるんですけど、呼ばれたことでヤナギさんに対して意識が自然と向く。そこで味方から自分にリターンパスが戻ってくると同時に、今度ヤナギさんはカットインして相手の逆を巧みに突く。その動きは間接視野で意識しているから、スムーズにパスを出せます」

    当時の中村にとって、柳沢のプレーは衝撃的だった。その動き出しの意図を理解すべく、「それまで以上に首を振って、周りの状況を意識するようになった」と振り返っている。先輩ストライカーは、中村の成長を語るうえで欠かせない存在であり、現在39歳となったレフティーは「ヤナギさんは、そういう感覚がずば抜けていた。本当にびっくりした」と、今でも称賛して止まない。

    柔和な笑みを浮かべながら語る中村は、最後に次のように総括している。

    「つまり、一連の動きが『そのタイミングで出せ!』というメッセージ。そうした流れを自分の中で全部イメージしたうえで、ヤナギさんは動き出していた。FWにセンスを磨いてもらうというのは、そういうことですよね」

    名パサーの陰に名ストライカーあり――。二人の関係性が雄弁に物語っている。

    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171116-00010015-soccermzw-socc

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    1:Egg ★@\(^o^)/ :2017/08/29(火) 11:55:11.13 ID:CAP_USER9.net
    運命のW杯アジア最終予選オーストラリア戦まで、あと2日となった29日、日本サッカーの歴史とその積み重ねを感じさせる、味わい深い動画に出会った。

    デジタル技術の活用推進を掲げチャレンジを続けるJリーグが、先ごろ来日していた元日本代表監督ジーコ氏(64)を起用。「夏休み特別企画 ジーコおじさんのこども電話相談」という独自番組を制作した。ユーチューブの公式チャンネルで公開中だ。

    神様ジーコ氏が子どもたちの相談を聞き、独特の甲高い声で丁寧に、優しく、真剣に答えている。ほほ笑ましいやりとりに見入っていると、いきなり「柳沢敦です」と元日本代表FWがサプライズ登場。驚いた。

    「ゲンキデスカ~」と、ジーコ氏の顔が一気にほころぶ。「こども相談室」。確かにジーコ・チルドレンの柳沢は“こども”だ。妙に納得して見ていると、突然、柳沢の口から予想もしない言葉が飛び出し、もっと驚いた。

    自ら切り出したのは06年W杯ドイツ大会クロアチア戦のシュートミス。一部で「急にボールが来た(QBK)」と言われ、揶揄(やゆ)された、あの場面についてだった。

    番組内のやりとりを、すべてここに書いてしまうのはどうか。詳細は、実際に番組で確認してもらった方がいいだろう。もう1人のサプライズゲスト、巻誠一郎もそうだが、11年たっても一切変わらぬ師弟の絆を強く感じさせられた。そんなやりとりが、詰まっていた。

    「ジーコおじさん」と呼ばれた神様は「もうおじいちゃんなんだけど」と笑っていた。あの時、53歳だった日本代表監督は、64歳の元日本代表監督となった。ジーコ氏からオシム氏、岡田武史氏、ザッケローニ氏、アギーレ氏、ハリルホジッチ監督と、日本代表指揮官もバトンをつないできた。

    日本代表も、W杯はドイツ以降、10年南アフリカ、14年ブラジルとさらに2大会に出場し、オーストラリア戦に勝てば、18年ロシア大会にも出場できる。

    ジーコ氏もプレーしたJリーグは25年目。四半世紀の歴史を重ねてきた。神様の教えを受け育まれた柳沢は、古巣・鹿島のコーチになった。巻はまだ必死に故郷のクラブ、J2熊本でゴールを狙い、戦い続けている。

    積み重ねと、受け継がれ、紡いできた歴史がサッカーの魅力であり強み。日本代表も、Jリーグも、そしてそれを取り巻く人たち、運命の一戦を前に、今はみんなが同じ思いでいるはずだ。

    オーストラリア戦には、日本サッカーの力を結集させて臨んでもらいたい。ハリルホジッチ監督と27人の代表選手にも、強い絆があるはずだ。ほほ笑ましくも印象深い、この番組を見て、そう強く願った。

    【サッカー担当=八反誠】

    8/29(火) 11:09配信
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170829-01879508-nksports-socc

    写真


    動画 ジーコおじさんのこども電話相談【夏休み特別企画】

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    1:的井 圭一 ★@\(^o^)/:2017/06/09(金) 08:05:37.39 ID:CAP_USER9.net BE:511393199
    どれが一番辛かったのだろう。
    2000年、アジアカップの決勝で途中出場したものの7分で交代させられた。
    2002年、ワールドカップの前にはFWではなく右ウイングで起用される。
    本大会では初戦で首を痛め第3戦で動けなくなった。
    2006年、ワールドカップの前に右足を骨折する。
    本大会ではクロアチア戦でゴールを外し、その後の「急にボールが来たからビックリした」というコメントの一部が一人歩きした。
    2007年、10年間在籍した鹿島を離れて京都へ移籍。
    2011年、契約満了となった京都から仙台へと移る。
    そして2014年シーズンを最後にユニフォームを脱いだ。

    「オレが」という我の強いプレーよりも味方のチャンスを増やすスタイルだった。それゆえに誤解を生みやすく、謂れなき非難もあったに違いない。もともとあまり饒舌なほうではない。辛く見えた過去を寡黙なストライカーは、じっくり考えながら丁寧に答え続けてくれた。

    そして最後にインターネットの上で見かける、「サッカー選手のお嫁さんの理想は柳沢敦の嫁さん!!?」という話について聞いてみた。柳沢夫人が芸能の仕事をしているにもかかわらず、移籍先に必ず付いていく仲睦まじい様子が評判となったものだ。本人たちは知っているのだろうか。柳沢はインタビュー中、ずっと真顔だったがその質問では感情を隠さず、満面の笑みになった。

    「急にボールが来た」の真意とは

    僕のサッカー人生で辛かったこと……。僕はね……辛いことは……どれも同じように辛かったですね。やっぱり僕だけでは乗り越えることができないものもありました。そんなとき周りの人の助けがあって、乗り越えられてきた。……ホントに。他の人から見れば辛いことがたくさんあったと思われるかもしれませんけど、その中で支えてくれる人が多かったっていうのが、僕の人生ですかね。

    フィリップ・トルシエ監督のとき、81分に途中出場して88分に交代させられたとか、右ウイングで使われたりとか……。あのとき、みんな心配してくれてましたけど、僕は監督を悪くなんて考えないんですよ。

    〈中略〉

    2006年ワールドカップのときは、「急にボールが来た」という言葉を取り上げられましたけど、あれは加地亮がシュートしようとしていたので、そのこぼれ球に詰めようと動いていったところを、ボールが僕のところに来たという状況でした。

    あれで勝てなかったということを言われたけど……。それが代表というものだし、それがワールドカップだなと思います。大きな舞台で、一つのミスだったり、一つのゴールだったり、それがその人の人生を大きく変えていくという……。そういう意味では本当に大きな大きな舞台なんです。

    何かを恨むとかはなかったんです。よく、「持ってる」「持ってない」というのがありますけど、僕はある意味では「持ってる」し、ある意味では「持ってない」んじゃないでしょうかね。こういう世界にいると、起こってしまったことはどうしようもないんで、それを先にどう繋いでいくかという思考回路を持つようにしているんです。

    辛かったときは、周りの人たちが助けてくれました。前に向かせてくれたというか……終わったことをいくら考えても何も解決しないですから。そういう意味では前に進んでいかなければいけないし、歩みを止めてはいけない。選手としてこれから先、どうしてくかというのを、みんながサポートしてくれましたね……。


    全文・続きはソース先で
    あのときボールは急に来た……柳沢敦が振り返る現役時代の記憶 - ぐるなび みんなのごはん 2017-06-08
    http://r.gnavi.co.jp/g-interview/entry/football/4041
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