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    タグ:鈴木隆行

    1:Egg ★:2018/01/13(土) 16:32:21.85 ID:CAP_USER9.net
    サッカーの元日本代表FWで15年に引退した鈴木隆行氏の引退試合が13日、ケーズデンキスタジアム水戸で行われた。鈴木氏は試合後のセレモニーでマイクをとり、涙を流しながらあいさつした。

    「今も夢を見ます。自分がヒリヒリした試合の中で得点を決める。最高の気持ちで夢を見て起きたとき、もうプレーしないんだと思うと寂しく思います。でもこれで区切りがつきました。これからはプロの監督を目指して頑張りたいです」。指導者として歩むことを第2の目標とした。

    試合は02年W杯日韓大会のメンバーや鈴木氏の鹿島時代のチームメートらで編成した「SUZUKI FRIENDS」と、水戸在籍時のチームメートを中心に編成した「MITO SELECTIONS」が対戦して開催された。

    鈴木氏は前半を「MITO-」で出場して2得点。後半はGK楢崎(名古屋)、MF中村(磐田)、FW柳沢氏(鹿島コーチ)、DF中沢(横浜M)ら02年W杯の豪華メンバーがそろう「SUZUKI-」に移り、柳沢氏と2トップを組んで出場して3得点した。1点を追う後半44分に同点ゴール。後半ロスタイムに決勝点となるPKをゴール右スミに豪快に決めて試合終了。9155人のコールと手拍子の中、胴上げされた。

    FW中山(沼津)は「久々に隆行の我(が)を通すプレーが見られた。覚えているのはW杯ベルギー戦のゴール。先制されてヤバいと思った直後の点で、日本を救った」と振り返った。

    柳沢氏は「アントラーズと日本代表で同じピッチでともに戦った。昔を思いだして一緒に戦いました。オンオフを分けながら一緒に成長した」と現役時代を懐かしんでいた。

    1/13(土) 16:26配信
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180113-00000075-dal-socc

    写真


    FW鈴木隆行の引退試合 水戸で豪華メンバー集結
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180113-00099364-nksports-socc
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    1: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/04/13(月) 07:26:27.52 ID:???*.net
    新入社員がデビューして約2週間。ネット上には早くも「辞めたい」という書き込みが登場している。冗談かもしれないが、本気なら気が早すぎるだろう。人生、早咲きの人もいれば、遅咲きの人もいる。

    たとえば、世界を舞台に活躍するサッカー選手たちも、新人時代は苦労した人が多い。諦めなかったからこそ夢をつかんだ3人のエピソードを紹介しよう。

    ●1)誰よりも下手くそだった男

    日本代表DFとして2度のW杯(2006年ドイツ大会、2010年南アフリカ大会)に出場し、レギュラーを務めた中澤佑二(横浜F・マリノス所属)。だが、小・中・高校と全国大会はおろか地域選抜とも無縁。自著『下手くそ』の中で、「自分ほど下手くそだったJリーガーはいない」と振り返る。

    それでも、プロになる夢を諦められなかった中澤は、高校を卒業した1996年、アルバイトで貯めた5万円を握りしめてブラジルへサッカー留学する。1年後、Jリーグ各クラブに「練習生でもいいからプレーを見てください」と手紙を書いて猛アピール。母校のサッカー部とヴェルディユースの練習試合に「18歳」と偽って参加し、得点を挙げたことをキッカケに練習生に滑り込んだ。

    そして1999年、プロ契約に漕ぎ着けると、身長の高さを評価されてレギュラー入り。その年、リーグでは新人王に輝いてシドニー五輪代表にも選出。そして日本代表へと一気に駆け上がった。

    そんな中澤には、引退後、高校でサッカーを教えたい、という夢がある。

    「本当に一生懸命に打ち込めば何かがあるんだよ…と伝えたい」(『中澤佑二物語』より)

    ●2)コンプレックスを力に変えた男

    身長もなく、技術もなく、おまけに足も遅い。それが清水エスパルスに高卒ルーキーとして加入した2005年当時の岡崎慎司(ドイツ・FSVマインツ05所属)の姿だ。当時の監督は「FW8人中、8番目の選手。光るモノは何もなかった」と振り返り、周囲からも「それでもプロか?」と毎日呆れられたという。

    そこで岡崎が取り組んだのは、短所やコンプレックスから目を背けるのではなく、あえてそれらを見つめること。突然身長が伸びたり俊足になったりするわけはない。ならば、小さな体でもどうすれば屈強なDFに対応できるかを考え、足が遅いならばとオフ・ザ・ボールの動き(※ボールを持っていない時、絡んでいない時の動き)の質を磨き、陸上の専門家にも指導を仰いだ。

    すると4年目の2008年、リーグで年間10ゴールを奪ってチームの得点源に。その活躍が認められて同年夏の北京五輪代表に選ばれ、秋には日本代表にも選出。以降、現在まで代表戦で挙げた43ゴールは釜本邦茂、三浦知良に次ぐ歴代3位にのぼる。

    そんな岡崎は昨年、地元神戸にサッカースクールを開校。「希望を持つ子どもたちの可能性を少しでも広げることが僕たちの夢」と自身のブログで抱負を語っている。

    http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150413-00000005-rnijugo-spo
    web R25 4月13日(月)7時1分配信

    ※コラムの内容は、フリーマガジンR25およびweb R25から一部抜粋したものです
    ※一部のコラムを除き、web R25では図・表・写真付きのコラムを掲載しております
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    引用元http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1428877587/

     
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